アリコレ館

アンジェリークのアリオス×コレットばかりかと

なんとか

誰に強いられたわけでも、誰かが期待しているわけでもないのに、11月22日にはアリオス誕生祝いをしたいと思っています。

ネタが落ちてこないと書けないから、11月はじめくらいに焦って。

まだ推敲していないけれど、ほぼ書き終えることができました。

当日、pixivにUP予定です。

 

アリコレのことを考えていると本当に幸せな気持ちになって。

やっぱりこのCPが大好き!

苦しいときも、悲しいときもたくさんあったのに、幸せになったときを思うともう胸が絞めつけられてしまうほど。

苦難があった分、幸せが加速する。

 

ふと思ったこと。

ふたりがどんなに深く想い合って、通じ合っていても、最終的には死別することが決定している天レクよりも、その後は不確定であったとしても再び邂逅し、ともにいられるトロワの方が幸せを感じるんだなって。

結ばれる、結ばれないに関わらず敵対していないただの男女という関係は、アリオスにもコレットにとっても掛け替えのないものだったはず。

心の赴くままにともに過ごす時間がある。

喩えそれが恋人という肩書がなかったとしても。

互いが生きている。

それだけで幸せを感じるのだから。

死生観

天レクのとき、教官協力者たちはどのようにて死に向き合っていたのか、そんなことをふと考えてみた。

女王絶対主義である守護聖たちが女王救出に赴くのは当たり前だし、それでなくても聖地が略奪されてしまったなら宇宙崩壊の危機でもあるわけで、守護聖でなくても人として女王奪還に加担するのは少しの不思議もない。

まして彼らは多少なりとも聖地に慣れ親しんだ仲。

実力も責任感もある彼らが仲間に加わらない方がおかしい。

 

でも、かなり危機的状況だったのも事実で、危機一髪的な場面に出くわさなくても、心のどこかで死を覚悟することはなかっただろうか。

軍人であるヴィクトールが救命活動の際に命の危険がないとは思わなかっただろうし、それ以上の危険な状況で誰しもが楽観的には考えなかっただろう。

そして、少なからずとも彼らの死生観は変わったと思う。

悪い意味だけでなく、仲間となら乗り切れるという前向きな考えも含めて。

加えて、トロワでも自分たちが死の空間に閉じ込められたのだから、「死」というものに向かい合う気持ちは一般人より強いと考える。

 

そこで、エトワールでの守護聖説得で、彼らがゴネたのがまたしてもわからなくなってしまった。

死生観の変遷は「命あっての物種」と考え生に執着することも考えられるが、六人が揃ってそうなるのが変だと思う。

誰かしらは「自分は一度は死を覚悟した。それなら新天地で自分を必要としている人にこの命を捧げよう」と思っても不思議ではない。

まして自分が関わった聖獣の宇宙。

家族や友人のこともあるが、何一つ持たずに聖地へ召し上げられたゼフェルよりも、ずっとずっと恵まれた状況なのだから。

 

では、なんでそうならなかったかといえば、答えは簡単。

ヒロインが交代したからだ。

もし、過去の出来事によって聖地へ来るきっかけとなるなら、エンジュの説得は不要となる。(もっといえば、エンジュとの恋愛が不要になる。)

なら、ヒロインをコレットで継続したらどうだろうか?

たとえば、身体は動かないから魂だけ教官協力者に語りかけるような感じで。

でも、こうして話を進めてしまうと、傅かれている女王(として機能している)コレットで恋愛が出来ることになり、「ならどうして同じ状態であるリモージュが恋愛できないの?」というジレンマに陥ってしまう。

だから、新ヒロインだったのだろうし。

 

私がリモコレ軸で世界観を考察すると彼方立てれば此方が立たぬ状態になって、今まで以上に矛盾に満ちた世界になってしまうのです。

失敗の連鎖

エトワールでの設定変更の中でやってはいけなかったのは「女王のサクリアの概念の消失」と「神鳥と聖獣のサクリアの意味の違い」だと思っている。

 

前者については、聖天使(エトワール)の格上げを目的として、女王の万能感をなくすためだと思っている。

何度も書いているけれどエトワ未プレイだから違うかもしれないが、それまでチート機能といわれてきたリモージュでさえも、エトワではあまり万能な女王なイメージがない。

ましてコレットにあるわけもない。

エトワでは絶対的な女王の存在感が揺らいでいるのが印象的。

 

後者については、世界を構築する九つの要素の意味付けが違ってきたら、そこから生まれた宇宙は他と異なるはず。

モノは一緒でも意味付けが違う場合はあるだろうが、神鳥と聖獣のサクリアの意味は大きくは違わない。

むしろ無理に変える必要のないものだ。

では何故変更したのか。

それは「キャラクターに合わせた」としか思えない。

キャラクター性は合致しても(個人的には合っていると思えるキャラはあまりいないが)、世界を構築する要素の意味を変えるほどのことかな?と思う。

 

アンジェリークは初代がSFCということもあり、今から考えたら容量が少なく、その世界観はゲームよりもCDなどの派生で生まれたものだ。

無論、根幹となるものはゲームから生み出されているけれど、人間関係などはドラマCDの方が詳しく描写されている。

だから、今から聞くと当初はキャラ設定がまだ固まっていなかったんだと思わせるような場面もあるし、それはそれで歴史を感じる。

しかし、エトワールに至っては、もうそれなりに出来上がったものに対して矛先を変えたものだから、かなりの無理が生じている。

トロワまででアンジェリークの世界はある程度熟成されて、更に未来を描くには正直現キャラクター温存は無理だったのではないかと思う。

そう思わされるのは、エトワでの新設定がなにも生かされない、場当たり的なものに感じるから。

例えば、カティスは後付けキャラだけど、彼の設定はその後の矛盾を生んでいない。

むしろジュリアス、クラヴィス、ルヴァのよき相談相手であり緩衝材的なキャラとして描かれるため、彼が聖地を去った後のジュリアスとクラヴィスの険悪感を物語るようにもなっている。

エトワにはそういう未来に繋がる、または過去に戻って納得できるようなことを、私自身は感じられないのだ。

 

で、その失敗の連鎖がルトゥールにおける新キャラクターの登場だと思っている。

最初に断っておくと、新キャラが駄目というわけではない。

そこそこ人気があるのを見ると、むしろキャラクター造形には成功しているのだと思う。

けれど、そこに新キャラがいても後にも先にも繋がらない。

双子の執事はいなくても話は通じる。

ブライアンについては過去の出来事を語るためのキャラクターなんだけど、その過去は特別必要には思わない。

ブライアンが噛んでいるという部分を除けば、それは今まで通りであり、それで特に問題はない。

 

ルトゥールの新キャラは完全に作り手とユーザーの齟齬の違いだと思っている。

作り手は「新規ユーザーのためのキャラ」であり、ユーザーは「アンジェリークシリーズの存続」のだと思う。

だから、ユーザーにとって新キャラという概念は特別ほしいものではなかったはず。

そして、作り手の誤算は新規ユーザーが予想を下回ったことだろう。

あくまでも私の印象だけどルトゥールプレイ済みなのは新規<古参ユーザー。

せっかく新規取り込みのためにキャラデザも変えて新キャラを追加しても、マーケティングを誤ったとしか思えない。

勿論、どのジャンルも新規取り込みは重要課題だから、作り手としての姿勢は間違っていない。

だが、見誤ったのも事実だと思っている。

女王が鎮座する世界

エトワールには辛口な理由が、自分にとってのアンジェリークの世界観に違和感があるということなのだが、一言でいえば私が物事の判断をリモコレを軸に考えるから。

前にも書いたけれど、私はアンジェリークの根幹を「女王(補佐官)と守護聖の世界」だと位置付けている。

なので、たとえヒロイン視点であったとしても、また女王が脇役であったとしても、設定として女王が世界の中央にあるSP1~トロワについては違和感がない。

 

ところが、エトワールは女王は奥の間に籠って不在。守護聖はいない。

だから、主軸がエンジュとなるため、エンジュの考えに沿って(制作側がヒロインに都合の良いものにして)話が展開していく。

守護聖説得がゲームのメインテーマになっている以上、守護聖候補は聖地に生きたくないというスタンスをとるしかない。

どんなに元教官協力者の絆があっても、それはなかったことになってしまう。

本来ならば、守護聖としての力が認められた後は強制的に聖地へ召されるのが筋であり、前例をあげるならゼフェルがまさにそう。

けれども、なぜか人情話を挟まなくてはならず、それゆえに彼らが「聖地に生きたくても行けない」姿勢を貫く羽目になる。

もし、女王がいて守護聖がいて、守護聖補佐を説得するならまだ理解できるが、宇宙創世の危機に面してこの悠長な考えがいまいち納得できないのもある。

 

だからエトワール中の設定は自分の中で違和感満載なんだけど、創世の危機を脱したエトワ後の世界になると違和感はだいぶ緩和される。

女王が中心にいて補佐官が守護聖がいる。

この原則が守られていると話が安定し、安心できる。

SP1でも女王不在であったけれど、最後の最後で女王としての力を発揮するので「やはり女王あっての世界」を感じる。

これが私のアンジェリークの世界なんだとつくづく思う。

パクリは誰も幸せにしない

前回のブログをUPした直後、件のゲームについてコメントが出てビックリ。

パクられた側は「開発に関与してない」

パクった側「(指摘を受けて)ゲーム延期」

とのことみたいなので、ユーザーに迷惑かかる直前でしたので良かった。

穿った考えをしてたけど、それが止められたことについては一安心。

 

でも、やっぱり良くないよ!!

 

これは誰も得をしないということを知らしめてくれた。

パクられた側←青天の霹靂。完全な被害者。問い合わせ等でいらん仕事UP。

パクった側←時間と人件費を削るつもりが逆効果な上、信用を失う。

 

これはPCの発達によりトレスが簡単に出来るようになったことが前提で、且つ、イラスト(絵)のトレスはNGという倫理観がまだ徹底していないことが要因に思う。

目に見えないものが浸透するのはなかなか難しい問題ではあるし、個人的には「絵は模写から」みたいな考え方があるから、それもわずかならが関係あるのかな?とも思っている。

むろん、模写はトレスではないけれど、それを自分の都合の良いように考えてしまうことは容易に想像できる。

あと、PCの発達によってアナログよりも絵を描くことが簡単になって、以前よりもずっと平均的な画力が上がったと思うけど、その中で本当に画力があるというのは昔とそう変わらないような気がする。

アナログ>デジタルではないけれど、書き直しが容易なデジタルの方よりもアナログの方が画力をより強く必要だと思うし。

デジタルが発達する前はゲームパッケージでも一枚のイラストに何人もキャラをおさめる構図を考えていただろうけれど、今はキャラ単品を重ね合わせただけが圧倒的に多い。

こういうのもが画力が低下するひとつの遠因のような気もする。

 

パクリ問題は定期的に起こるけれど、今後はどのジャンルでも起こらないようにしてほしい。

ユーザーを大切にするなら、制作サイドは絶対それを守ってほしい。

パクリという問題

たまたまネットサーフィンしていたら今度発売される某乙女ゲーが同じジャンルの乙女ゲーにそっくり。パクリだ!というのを見掛けた。

先に断っておきますが、私はどちらも知らないので思い入れもありません。

また、ネットで見掛けただけなので、情報(真実)は違うかもしれません。

その上で、感じたこと。

 

パクるなら、もっと頭使ってよ!!

 

である(笑)。

いや、好きなゲームをパクられたら笑ってられないでしょうが、スクショで並んでいふたつの画面はそっくり。

私の目には子供用間違い探し程度の違いしか感じなかった。

すごいな。ここまで丸パクリなのは。

一見して訴訟レベルだと思う。

同じ「戦国アクション」でコーエーカプコンが法廷で争ったより、更にひどいレベルだと思うよ。

パクった側に問い合わせたら「パクッてない(意訳)」のメールを公開していた方もいたけど、多分メールを送信した人は内心で”パクリだよね”と思ってたと思うよ(笑)。

 

トレスはどうしても証拠が残ってしまうから、一時的にはいいかもしれないけれど、結局は首を絞めてしまう行為だ。

トレスされる側はうまいからされるんであって、する側は決して乗り越えられない。

昔、大学の講義で「レポートを写した奴はわかる。原本が一番できが良くて、末端になるにしたがって劣化していく」というのを聞いた。

そのときは、「ほんまかいな?」と思っていたけれど、今ではわかる。

正しく理解している人のをただ写しているだけで、物事を理解できるわけがない。

今はネット社会だから、パクリのレッテルが貼られてしまったら、結局は自分の信用を失ってしまう。

天才的な才能をもつ人もいるだろうが、たいていは凡人だ。

同じレヴェルの中で切磋琢磨して仕事をもらっている。

もし、取引先の会社にパクリ疑惑があるなら、そこしかないならともかく、だんだんと敬遠されるに違いない。

また、これだけ社会的コンプライアンスに厳しくなっている世の中で、以前はトレスは問題なかったのかもしれないが、もういい加減にしないとやった側はダメになっていく。

コンプライアンスに厳しいところは一時的に立ち止まっても、長期的な目で見ると成長する速度が速いと思うし。

 

ここからは穿った見方だが、絶対丸パクリは確信犯だと思っている。

素人でも一発判断できるレベルなんだから、仮に同じゲームでもまったく異なるジャンルで「知りませんでした」は(辛うじて)通じても、まったく同じジャンルでは誰も信じない。

確信犯的にGOサインを出して、訴訟されても時間があるから、それまでにゲームだけでなくグッツなどで売り上げをあげる。

ゲームはどれもがマリオやドラクエみたいに永続しないから、もう斬り捨て御免の感覚で。

訴訟で敗訴したら「私たちは知らなかった。開発元の問題」「自分たちの意見が組み入れられず残念でした」みたいなコメントをだし、終了。

新手の丸パクリ商法なのかもしれない。