つい見てしまうと…
恋する天使アンジェリークですが、我が家にあるPC3台の内どの巻も問題なく見られるのが私のノーパソだけで、リビングにある大きなPCは見ていたら突如DVDドライブが壊れてしまったようで沈黙。
会社からお借りしているノーパソも見られる、見られないと何故か選り好みして。
一番作業に使い、スペックの劣る私のノーパソで見るという始末。
(もう十数年前に購入したDVDデッキも選り好みしてくれる。)
恋アンをベースにして二次創作を書きたい野望はずっとあるのですが、どうもそんな調子もあって、まったく頓挫しております。
しかし、最近考え方が変わってきて。
最初は「なぜアリエンテイストを醸し出すの?それに付随してコレットを出すの?なんなの?なぜ、エンジュの相手にアリオスを選ぶの?」とかなり不快感でいっぱいでした。
これは、テレビアニメの感想でもかなり同様のことを書いてあった。
次に、アリオスの視点から物語を見るようになっていたので「アリオスはずっと女王の命令で動いていて、エンジュに1㎜も心が動かないんだ」と安心した。
その動機が『エリスを愛しているから』というものなので、納得しているわけではないのですが、エトワールが舞台ならそれもやむを得ないかと。
そして、最近では「エルンストは元から隠しキャラ的な存在だから仕方ないとしても、オスカーとかランディなんてOVAでも目立つタイプが撃沈している。ランディなんて村人扱い程度だ」と感心して見るようになってきた。
私が長編を書くとしたら、オスカー、ランディについては『他のキャラとバランスをとるために活躍する場を削る(譲る)』ことを考えるキャラクターだ。
剣が得意であるから戦う場面で使えるし、ジュリアス配下として伝令役としてもいける。無論、女性にやさしいキャラなので、慰める場面でも問題ない。
だから、オールマイティに活躍できるので、それを描いてしまうとオスカーやランディばかりが目立って、特技のあまりないキャラがより影が薄いという悪循環になってしまう。
でも、恋アンは違う。
基本的にエンジュからの目線で話が進むので、明らかにエンジュが意識している、していないによってキャラクターの空気感が異なる。
ランディはともかく、オスカーは人気キャラということもあり、他のキャラよりもずっと出番はある。あるのだが、エンジュから異性として意識されていない。
サクリアの精霊と戦うけれど、それをかっこいいと見てくれるエンジュはいない。だからか、なんとなく空気なオスカー。
可哀そうに、エンジュに猛アピールしているゼフェルもその煽りを受けて空気感満載。
通常は出番がある=印象に残るだが、恋アンについてはその法則が適応できない。
ルヴァは台詞の数は守護聖の中で一番かと思うくらい多いのだが、常に石板の翻訳係となっているため、エンジュが好きだという設定にも関わらず”その他大勢”から出ない。なぜ?
アンジェのキャラの中でもセイランなんて人気の高い方だと思うが、完全にエンジュには意識されていない。そして、それを喜んでいる人が多かった(テレビアニメの感想で良くやった!セイラン!的なコメント多数だったと思う)。
この空気感真似できない。