死生観
天レクのとき、教官協力者たちはどのようにて死に向き合っていたのか、そんなことをふと考えてみた。
女王絶対主義である守護聖たちが女王救出に赴くのは当たり前だし、それでなくても聖地が略奪されてしまったなら宇宙崩壊の危機でもあるわけで、守護聖でなくても人として女王奪還に加担するのは少しの不思議もない。
まして彼らは多少なりとも聖地に慣れ親しんだ仲。
実力も責任感もある彼らが仲間に加わらない方がおかしい。
でも、かなり危機的状況だったのも事実で、危機一髪的な場面に出くわさなくても、心のどこかで死を覚悟することはなかっただろうか。
軍人であるヴィクトールが救命活動の際に命の危険がないとは思わなかっただろうし、それ以上の危険な状況で誰しもが楽観的には考えなかっただろう。
そして、少なからずとも彼らの死生観は変わったと思う。
悪い意味だけでなく、仲間となら乗り切れるという前向きな考えも含めて。
加えて、トロワでも自分たちが死の空間に閉じ込められたのだから、「死」というものに向かい合う気持ちは一般人より強いと考える。
そこで、エトワールでの守護聖説得で、彼らがゴネたのがまたしてもわからなくなってしまった。
死生観の変遷は「命あっての物種」と考え生に執着することも考えられるが、六人が揃ってそうなるのが変だと思う。
誰かしらは「自分は一度は死を覚悟した。それなら新天地で自分を必要としている人にこの命を捧げよう」と思っても不思議ではない。
まして自分が関わった聖獣の宇宙。
家族や友人のこともあるが、何一つ持たずに聖地へ召し上げられたゼフェルよりも、ずっとずっと恵まれた状況なのだから。
では、なんでそうならなかったかといえば、答えは簡単。
ヒロインが交代したからだ。
もし、過去の出来事によって聖地へ来るきっかけとなるなら、エンジュの説得は不要となる。(もっといえば、エンジュとの恋愛が不要になる。)
なら、ヒロインをコレットで継続したらどうだろうか?
たとえば、身体は動かないから魂だけ教官協力者に語りかけるような感じで。
でも、こうして話を進めてしまうと、傅かれている女王(として機能している)コレットで恋愛が出来ることになり、「ならどうして同じ状態であるリモージュが恋愛できないの?」というジレンマに陥ってしまう。
だから、新ヒロインだったのだろうし。
私がリモコレ軸で世界観を考察すると彼方立てれば此方が立たぬ状態になって、今まで以上に矛盾に満ちた世界になってしまうのです。