アリコレ館

アンジェリークのアリオス×コレットばかりかと

過去を受け止める

前回のウルトラマンシリーズのつづき。

 

私は根っからの昭和ウルトラマン派なので平成ウルトラマンはまったくといっていいほど知らないのですが、メビウスには昭和ウルトラマンの客演があると知って、急ぎその部分だけ見るという邪道ぶり(笑)。

最初に一番好きなタロウを見て、タロウって意外と客演してないんだな~と思っていたら、どうやら本編後最初の客演だったようで。

悪くはなかったけれど、演じられていた篠田さん不在ということもあり、後で見た初代、セブン、ジャック、エース、レオ、80には劣るものでした。

設定の教官タロウと教え子メビウスにしてしまうと、後述する80とネタ被りになるからか、その辺の掘り下げもなかった。

というか、やはり本家本元が演じられているものには比べられない。

全体的に圧倒的な存在感が違ってくる。

 

その中で、エース・レオ・80の脚本は最高でした。

どれも過去を受け止めて今に残す…、という展開でした。

 

まずわかりやすく80から。

実は私、80放送時はかろうじて誕生していたのですが、まったく記憶にない。

昭和ウルトラマンは内容は覚えていなくても「見た」という記憶はあるのに、80だけない。

もっとはっきりいえば、80の存在も最近知ったくらいで、リアルタイムで見ていても不思議ではないものの(あまり再放送してなかったようなので覚えていない可能性は否定できない)、やはり見ていなかったと思われる。

それなのに、とっても感動した。泣いた!

そもそも80は地球では教師とUGM隊員の二足の草鞋という無茶振り設定なのだが、低迷する視聴率テコ入れのため教師は辞めてUGM隊員一本になる、というのが前提。

そんな80は怪獣を追って地球まで来ていてメビウスと共闘。色々あって、彼が教師であったときの学校が廃校となり、かつての教え子たちが同窓会を開くことになる。

80が地球へ来ていることを知った教え子が、メビウスに言伝を頼むが、80がメビウスにした答えはNO。

なぜなら、教師として半ば役職を放棄してしまった自分に教え子に合わせる顔はないから、と。

日は過ぎて同窓会当日。先生の返事もないまま、それでも先生に会えるかもと学校の屋上で同窓会をする。←ここは実は伏線。

教え子の想いが伝わったのか、なんとそこに怪獣の登場し、80も登場。

ご都合主義なんだけど、次の「俺たちのウルトラマンだ!」の台詞に涙腺崩壊!

この気持ちわかる。

おそらく80世代の人は私以上に涙なくては見られないのでは?

未見の私でさえ最も感動した台詞だった。

誰にでもある「自分のウルトラマン」に対する共感だよね。

戦いが終わると教え子たちが80に向かって「先生に憧れて教師になった」「私は3人のおかあさんです」と次々に自分の近況は報告。

80は空へ去った後、人間の長谷川さんに戻って「生徒に教えられた」とメビウスに告げ、彼は同窓会の中に入っていく。

その姿を映しながらENDと、べたな話ではあるものの、猛烈に感動しました。

 

次にエース。

ここはエース最終話の名台詞

 

「やさしさを失わないでくれ。
弱いものをいたわり、互いに助け合い、
どこの国の人たちとも友だちになろうとする気持ちを失わないでくれ。
たとえ、その気持ちが何百回裏切られようと。

それがわたしの最後の願いだ」

 

これがモチーフになっている。

メビウスたちが人間への愛と裏切りに揺れる中、エースは再度この言葉をいう。

最後のところが「それがわたしの変わらぬ願いだ」になっているのも、涙腺崩壊ポイント。

そして、とどめのように夕子が登場。

かつて北斗の半身であった夕子は生まれ故郷である月に戻り、それ以降北斗とは別れたまま。

最後にふたりが手を合わせてEND…なのだが、もう最後のこのシーンだけでも見た価値あり。

懐古厨といわれようと、このふたりの邂逅はそれだけで泣ける。

とはいえ、私はエースを見たことは記憶にあっても具体的なエピソードはそう覚えていなく、名言についても割と最近知ったのであった(笑)。

 

三番手はレオ。

これはレオの話をよく練り込んできた脚本だった。

レオは最初の怪獣との戦いに失敗して多くの犠牲を出している。それだけでなく、彼は故郷さえも失っているし、その後(本当は大人の事情だが)所属するMAC全滅、恋人も知人も死亡という最悪な事態を受け入れなくてはならない。

まさに孤独。

既に怪獣に負けていたメビウスを虚無僧のような男が話してくる。

それがレオだった。

顔を見た瞬間、もうメビウス負け。圧倒的に負け。

だって、レオこと真夏さんの凄みが鳥肌もので、まったく勝負にならない。

ここまで初代~タロウまで見ていたのですが、ウルトラマンに限らずヒーローものを演じられた俳優さんは子供たちの夢を壊さないようにしているという話を耳にするように、かなりかっこいい。

むろん青年時代の彼らのかっこよさはピークだと思うけれど、年を重ねてでるダンディズムがたまらない。

でも、真夏レオは少し違う。

畏怖というような凄みなんだ。

そして、レオと対決して負けたメビウスに対して話す台詞がかつて上司であったセブン(鬼)からの言葉なのが泣かせる。

過去の彼は凄みのある人間ではなかった。むしろ向こう見ずな単純な青年だった。けれど、鍛えられ苦難を乗り越えての凄み。

この存在感は真似できない。

素直なメビウスは今のままでは勝てないとレオを見習って修行するのだが。

これはレオの修業を知っていると生ぬるいとしかいえないのだけど、しかし、まあ尺の関係もあるので頑張ったということに。

最終的には敵を倒して冒頭で「俺はお前を認めない」といっていたレオに「お前たちに託す」となる。

失うものの多かった彼が、第二の故郷としている地球を託す意味。もうそれだけで感無量でした。

 

最後に、ウルトラの父を。

ウルトラの父は元から人間役はいないので、タロウのようになるのだろうと思っていたら、これが実によい脚本でした。

そして今回のメインキャラである父親と男の子の役者さんがとてもよかった。

特に子役の男の子はかわいいのに演技がすごく上手で、泣ける、泣ける。

冒頭、仕事で「ウルトラの父降臨祭」に行けないことを話す父親と「おとうさんはいっつも。この前だって、その前だって…」と悪態つく男の子。

この流れ、ウルトラマンに限らず昭和時代にはよくあったドラマだった。

なので、余計に期待しなかったのだけど。

話を元に戻すと、降臨祭に出向いたメビウスが見たのはふてくされる男の子。事情を聴くと先のことを語ってくれる。

そんな中、怪獣登場。

メビウスがGUYSだと知っている男の子は、捻挫しているのを隠しても彼に行って!と頼む。←ここで男の子が普段とても聞き分けの良い子だとわかる。

あとで父親も子供を探して来るのだが、このときも捻挫を隠している。

だから、冒頭の悪態は男の子がわがままな性格だったのではなく、本当に降臨祭を楽しみにしていたことを示している。

で、メビウスが怪獣に黄金されてされて大ピンチになると、父親に背負われた男の子は「おとうさんも来てくれたんだから、ウルトラの父も絶対に来てくれる!」という。

そのとき、お父さんは「おとうさん、子供の頃、本物のウルトラの父を見たんだよ」に子供は「何回も聞いたよ」と。←ここで男の子は父親から繰り返し聞いたことによりウルトラの父に親しみ、お父さんも喜ぶであろうと降臨祭に来たかったことがわかる。ダメだしだよ、これ。

その願いが通じたのか、ウルトラの父が降臨。圧倒的な力でメビウス復活、敵は倒される。

その最後におとうさんが「同じだ。子供の頃に見たのと」←ここで涙腺崩壊!!!

この台詞は誰でもない、昔子供だった人へのメッセージだろう。

かつての子供たちは大人になり、立場も考え方も変わった。けれど、ウルトラマンは変わらない。彼らはいつ見ても強く、そして優しい、と。

 

平成のウルトラマンを知らないので、比べようもないのですが、昭和ウルトラマンをよく知って書き上げた脚本だと思う。

ベタな話であれど、泣かせよう、感動させようとしているのではなく、もしこのときメビウスが〇〇に逢っていたら、というIF話を発展させている。ここが実にうまい。

昭和ウルトラマンにも他シリーズのウルトラマンが客演することが度々あったが、キャラを掘り下げるようなことはなかったと思う。

だからこそ、よく書けていると感心する。

 

ただ、これを見たからといって平成ウルトラマンに興味が出たかと訊かれたら、正直に告白するとNOだったりする。

やっぱりCGを多用すると安っぽく見えてしまうんだよね。

昭和だってジオラマだったし、これは当時の子供ですら偽物だとわかった。

今のテレビCG技術を見てきた平成の生まれは、私のような昭和ウルトラマンのセットと同じように、あれはテレビの中の現実と受け止めているのだろう。

ただひとつ問題なのは、圧倒的な予算のあるハリウッドCG技術を私たちは知っていて、どうしてもそれを知識として持っているから、テレビ予算になると途端に「安っぽい」と感じてしまう。

昭和ウルトラマンのセットは当時の技術でも最高峰だった。つまり比すものが最高レベルなので、偽物だとわかっても安っぽさも感じなかったんじゃないかな?