思い込みと続編と
言葉は呪だと実感したのは、昔から「あなたはウルトラマンタロウが好きだった」と母から繰り返し聞いていて、今更ながらウルトラマンにハマったとき、どうしてもタロウに目がいってしまうこと。
どうも私がタロウが好きだからか、息子もタロウ推しのようで、刷り込みというのは案外馬鹿にできないものだと思う。
そして、ウルトラマンについてずっと思っていたことが一部違うことに気がついた。
というのも、私はウルトラマンが自分が憑依する人間を選ぶのは「怪獣を前にしても屈しない闘志を持つもの」だと信じて疑わなかった。
昭和二期(初代ウルトラマン~レオ)まで全部カンストしていないのだが、しかし先の設定に当てはまるのはジャックとエースだけだった。ということは、2/5の割合。
タロウも大きい意味ではこちらの範囲だが、光太郎という人間体を選んだのはウルトラの母であり、憑依というよりも融合だと思うから厳密には違う。
セブンとレオはそれぞれ人間に擬態しているだけで宇宙人のまま。
マンに至っては護送中の怪獣を逃がしてしまい追いかけているところでハヤタと接触。彼を死なせてしまう業務上過失致死である。
これってハヤタにとっては青天の霹靂であり、宇宙警備隊はマンを馘にするような重要な案件だと思うのだが(笑)。
私はその勇敢さを買われて主人公はウルトラ警備隊のような組織に入ったのだとばかり思っていたけれど、よくよく考えればパン屋とか無職のボクサーが即座に入隊できるものでもないんだよね。
銃はともかく、戦闘機の運転なんて一朝一夕でできるわけないし。
なら、初代マンにおけるすでに科学特捜隊だったハヤタの設定は実に無駄も矛盾もない。
そうは思え度、毎回業務上過失致死を起こすわけにはいかないから、途中で変わったのだと思いますが。
初回もそうだが、最終回も自分の記憶と違っていた。
「正体がバレて光の国に帰っていく」と思い込んでいたけれど、タロウとレオは帰ってない。
マンはゼットンに敗北して死ぬ直前でゾフィーに救われ、たまたま「ちょうど私は命が二個ある」ということでハヤタを助け、自分も光の国に帰っていく。
ハヤタの記憶を消すという憎い演出までしてくれる。
初回といい、最終回といい、初代マンには本当に設定上無駄がないと思うし、レオまで見ていても、一番自然なラストだと思う。
数々の戦いで傷つき、とうとう光の国に帰るリミットを迎えたセブン。正体を明かして最後まで全力で地球を守って帰っていく。
ジャックとエースは上記の通りで、私はどうやらジャックとエースでウルトラマンの法則だと思っていたのかもしれない。子供にもわかりやすいしね。
タロウの最終回は賛否両論あるようだが、内容はともかく個人的にはマンネリ化を防ぐためのラストだったのではないかと考える。
ある意味ウルトラマンの力を否定することからマン以上の衝撃ではあるけれど、どこかにその力は眠っているみたいなファンタジックな感じで終わるから、絶望感とかそういうものはない。
レオは元々光の国の出身でもないし、帰りたい故郷は既になく、帰るに帰れないからあのラストだったのかな。
レオは憑依でも融合でもないから分離もできないし、消去法で決まったのかもしれない。
マンとセブンについてはシリーズ化として考えられてなかったので、それがかえって違いを浮き上がらせているようにも思うし、逆にジャック以降はシリーズを意識してのラストだったようにも思われる。
全力で地球を守り傷つき、やがて光の国へ帰るというテンプレが好きなひとには繰り返してほしいテーマかもしれないけれど、制作側のマンネリ化を防ぎたいという気持ちもすごくよくわかる。
シリーズを重ねるごとに大切なのは作品のテーマを外さないことと、マンネリ化を防ぐことだと思っている。
だから、セブンに息子がいたって驚かなかった。
というか、かつて主役だった男の息子が次代のヒーローなのが当たり前になったのはキン肉マンくらいからだろうか。
キン肉マンはシリーズではないので主役のキン肉マンの息子が主人公だが、ウルトラマンは各シリーズがある。
マンはシリーズのシンボルでもあるから立ち位置を変えないために除外。似ているジャックも省かれる。
メインである6兄弟に入らないレオも除外。
6兄弟に含まれるけれど看板番組のないゾフィーも除外。
残るはセブンとタロウだが、タロウはウルトラの父と母の実子という設定で、その彼に息子が出てきてしまうと、なんだか「ウルトラの孫」というイメージになってしまう。
消去法でセブンなのだが、無論知名度といい人気といい間違いなくウルトラシリーズを代表するキャラクターなので文句ない結論だったろう。
でも、なぜゼロが銀河伝説でセブンと初対面だったのか。
今では仲の良い親子となっているけれど、そもそもゼロの母親も含めて、未だに不明な点が多い。
個人的にはセブンが息子の存在を知っていなかったという設定の方が自然のように思う。
だけど、銀河伝説でセブンがどのような経緯でゼロを息子だと知ったか言及されていないので、謎のまま。
むしろジードの遺伝子操作で作られた子供という設定の方がしっくりくるように思うのだが。
どこかの機関がセブンの遺伝子を使ってクローンを研究→爆発かなにか緊急事態が発生し駆けつけてみるとほとんど死んでいたがカプセルに赤ん坊が→光の国にて保護し養護施設へ→ゼロは優れた運動能力を持っているので警備隊入隊を希望→入隊の際の試験や検査でセブンの息子と発覚→裏がないか確認中のところゼロが手っ取り早く強くなるために禁忌を犯す…という流れが自然に思える。
これならなぜセブンとゼロは一緒に暮らしてなかったのかの説明がつく。
だって、セブンがそのままゼロを孤児としておくのが不自然に思えてならないから。
余談。
二次創作でよくある「生意気だけどさみしがりや」的なキャラクターになっているゼロ。ありふれた性格に当てはめられたのかと思いきや、再度銀河伝説を見たら最後の方に行き来する人たちを見てはふてくされるようなしぐさをしてるんだよね。
ああ、ここからその造形が来ているんだとはじめて知った次第です。