アリコレ館

アンジェリークのアリオス×コレットばかりかと

価値観の相違

鬱展開と名高きネクサスを飛ばして完走。

テンポが悪いというのがあって、話の筋だけ追いたい私には耐えられず、後半はかなりすっ飛ばし。

鬱だ鬱だと聞いていたので、かえって「あまり鬱展開じゃない」とすら思ってしまった(笑)。

デュナミストがビーストから身を挺して人々を守り、ネクサス自身が消耗していく様は感動的で。

しかも、死んでもいいとすら思っていたデュナミストが、生きる希望を見出したとき、ネクサスが次のデュナミストに移行するのもいい。

設定もまた一番理屈があっているようにも思う。

 

ただ、疑問があるとしたら、この話は別にウルトラマンでなくてもよかったのでは?ということだった。

 

価値観の違うメンバーが衝突しながらも徐々に打ち解けていく。

これはウルトラマンに限らず割とよくあるテーマで、ネクサスはその掘り下げが両親の死のトラウマや死の恐怖などの暗部を対象としているから暗いけれど、テーマ自体は普遍的なものだと思う。

だから、なにかに似ているというような既視感はないけれど、ウルトラマンとしては異色作だがどこかしらにはあるような話と感じてしまった。

個人的には「10勇士」を見た後だったので、なんでも出せばいいみたいなノリよりも話がまっていた方が絶対的におもしろいとは思ったけれど。

 

価値観の相違といえば、ネットで某ウルトラマンについて「平成のウルトラマンはそんなにしゃべらない。話す部分だけ見てるからそう思うだけ。タロウやレオの方がよっぽどしゃべっている」みたいなことが書いてあった。

前後の話がわからないから私の想像に他ならないが、多分「しゃべるのがうるさい」というのはそういうことじゃないんだと思う。

確かにタロウ、レオあたりは掛け声も演じられていた俳優が担当しているから、変身後も割とよくしゃべる。

ウルトラキーのときなんて、レオの「俺はアルトラを守る!」に対しウルトラ兄弟は「俺たちはアストラを殺す!」だったもんね(笑)。

でも、ウルトラマンたちが話しているのはそううるさく思わない。必要な会話だと思うから。

私がうるさく思うのは変身後、中の人が更にバージョンを変えるときの掛け声。

これは玩具を売るための戦略で挿入されてものだから仕方のないことなのだが、タイプチェンジをしない昭和特撮を見慣れていると、ものすごい違和感がある。

違和感だけでなく、肝心の特撮部分が途切れてしまって、特撮→掛け声→特撮というぶった切り。

90年代ロボットアニメも中から必殺技を叫んでいたが、これはアニメだから場面の切り替えになっても特撮→中の人アップの切り替えとは、また違う。

もちろん、特撮パートから切り替わるところはある。例えば、戦闘機で攻撃→パイロットのアップとか。

でも、する必要のない声かけのために、せっかく連続した場面をぶった切る必要はないのではないか。

タイプチェンジするとき、尺の関係で掛け声カットの場合があり、その方がよほど自然に思う。

前も書いたけれど、本人なのに人間体で掛け声を出すのは、ウルトラマンというロボットに搭乗しているような感じになってしまって、戦っている一体感を感じない。

ただ、この辺はタイプチェンジすることに見慣れた視聴者にはむしろそのまま戦っている方が山場を感じないから退屈なのかもしれないけれど。

 

余談。

10勇士、ビックリするほど面白くなかった。

ネクサスがどのように関わるのか気になってみたけれど、はっきりいってネクサスだけでなくほとんどが「ウルトラマン」という名前で繋がっていただけだった。

特撮パートだけでなく、どの場面も不思議なくらい面白味がなくて驚いた。

伏線とかどんでん返しとか期待していたわけではないが、平凡で盛り上がりに欠ける話だと思う。

自分と相性の悪い映画もあるけれど、それはあくまでも好みの問題で、10勇士の場合は安易に人気キャラ出せば許されると感じてしまったのが敗因だと思われる。

あと、メビウスの声にもちょっと驚き。

中の人が引退してしまったから声優の変更は仕方ないと思うし、そこにこだわりはないけれど、掛け声が以前のままで新しい声とまったく声質が違うから違和感が。

新しい声優はプロなだけあってうまいし、それだけなら特別なにも感じないけれど、掛け声との違いに最初は「敵役が話している???」と勘違いしたほど。

急遽声優の変更ならいざ知らず、選考する余地があったのなら、掛け声とのバランスは考えてほしかったな。