アリコレ館

アンジェリークのアリオス×コレットばかりかと

テーマ

ウルトラマンネクサスが一番気になる特撮パートの出来がイマイチなのに嫌いになれないのは「光の継承」というテーマが自分に合っているからなんだな、と思った。

そう思い至るまでに結構不思議だったのだけど、考えてみたら納得。

おそらくはファイブスター物語の「血の継承」というテーマが私の根底に根付いているからなんだろうと思う。

 

ネクサスの光の継承も、デュナミストが身体をボロボロにして戦い、このまま朽ちてもいいとさえ思っていたとき、ふとしたきっかけで生きる希望を見出すと、ネクサスはそのひとを離れていくのもよかった。

また、セットにかかるコストをさげるため「メタフィールド」という設定を拵え、低予算を維持した。

ウルトラマンのセットは緻密で壊すことを前提としているから使いまわしができず、実にコスパの悪いものだった。

確かに特撮としてはどうかと思うようなセットだが、世界観としては実によくできている。

どの作品も様々な制約があって作られているのだけれど、あからさまに見えてしまうと受け手はしらけてしまうしまうが、こういうこの低予算を逆手に取った設定は素晴らしいと思う。

制約があるのはわかるが、売るための玩具が画面にドーン!と出ているよりずっといい。

 

ウルトラマンが泣いている」(円谷英明著)を読了。

さすがに円谷一族なだけあって細かく時系列で語られているな、というのが第一印象。

その次に感じたのは、子供向け作品で大人にも受けているものを高尚な作品として、あくまで子供向けな作品を二流と判じているということ。

ウルトラマンでもあくまでマン、セブンが至高で、あとは時流におもねることで二流化したと考えているように思う。

ウルトラマン一期は確かに脚本も大人向けが多かったと思うけれど、それを続けていてはなしてウルトラマンは永遠のナンバーワン(オンリーワン)だったかはわからない。

シリーズが続くにつれ絶対的にテコ入れは必要となるのだから、いいものを作れば絶対売れるみたいな根性論はどうなのかな、というのが私の感想です。

 

特に長く続くシリーズにはその作品毎のテーマは必要だと思う。

標榜するだけでなく、しっかり作品の根底に描かれるテーマ。

見ていて「なにをいいたいのかわからない」というものは意外と多い。

普遍的なテーマになればなるほどどこかで見た既視感、なんとなくわかったような終わり方、そんな流れになってしまう。

好き嫌いは個人差があるから、好きなシリーズ、嫌いなシリーズがあってもいいし、嫌いなものが続いたら(残念ではあるが)そこから卒業すればいいのだから。

自分には合わなかった、好みの問題なのだから、仕方ないことだろうし。

ただし、嫌いだからといってを罵るのは別。それはマナー違反。

また、全作品を本当に好きというひとは別だけど、「一般的に低評価なこの作品まで好きな俺は勝ち組」みたいな善意の押し付け的なものもどうかと思う。

繰り返しになるけれど、あくまで個人差、好みの問題なのだから。

 

万人受けするような作品でも、個人的には好みでないものもある。

ただ、やはり人気作というのは見ていると理由がはっきりわかる。

世界観がよく描けているとか、キャラクターが生きているとか、伏線をよく回収しているとか。

これはさすがだな、って感心する。

だから人気があるんだってマネするのではなく、それでも自分たちが描きたいテーマを決め、しっかり表現してほしいと思っている。

 

ところで、私がウルトラマンに求めているのが①特撮、特にミニチュアセットの緻密さ②キャラクターの造形③作品テーマであってドラマパートはそのずっと後になる。

だから、タロウが今でも一番なんだろうって思う。

特撮については新マンもエースもよくできてるし、合成については80もいいと聞く。

でも、キャラの造形で一番のタイプなのがタロウなの。

顔だけ見ると確かにセブンと似ているんだけど、アイスラッガーを外せるセブンとウルトラホーンを持つタロウは私の中で別物なんだよね、不思議と。

80も特撮いいよ、って聞くんだけどどうもお顔が好みでないので、食指が動かない。

好みの問題なんだな、とつくづく思う。