十二国記 白銀の墟 玄の月(ネタバレあり)
十二国記最新刊読了。
ただし、先を早く読みたくていつも以上に読み飛ばしているので多々伏線を逃していそうな予感。
長篇はいつも読み飛ばすのが常なので、何度も何度も読んでから「ここにこんな伏線が!」と気づくことがある。
今回もまた読み直してそんな驚きを楽しみたい。
で、最終的な感想は「みんな泰麒にメロメロだな!」です(笑)。
私の意見だけでないよ。みんな泰麒命じゃん。
特に顕著だなと思ったのは李斎!
前作で泰麒を再会したときには嗚咽したほどなのに、何年も何年も探していた主上驍宗に邂逅しても「あ、やっぱり生きてましたね」的な感じだったよ!!!!!!
感動の再会に嗚咽は?と問いたいけれど、私も驍宗は生きてそうな予感があったから「稚い泰麒は誰かが助けなくてはいけなけれど、驍宗ならどっかで生きてるだろう」みたいな思いがあったのだろう。
だって、驍宗が生きてたことにみんな「そりゃそうだ」的なノリだったよ。
で、李斎も強くなったと思ったけれど、六太に会ったときにうるうるきてたから「李斎お前、かわいいは正義なタイプだろう!!」とツッコミたかった。
その泰麒だけど、かわいい泰麒はもういなんだな、とつくづく思い知らされる。
敢えてやさいく稚い泰麒を覆すように勇敢で理知的な面を全面に出してきた。
蓬莱から帰還した泰麒は景麒と話すときはまだ幼い弟の顔を見せたが、陽子と話すときは同級生的な対等さがあった。
何も知らない陽子が苦労して優柔不断な優等生だったの性格がたくましく、我慢強いキャラクターに成長したともとれるが、むしろ泰麒は対する人物によって印象が変わるキャラクターとして造形されているのかもしれない。
それと、今回強く感じたのは驍宗の描かれ方が他メインキャラとの違いである。
驍宗の内心語は他キャラに比べて異様に少ない。
メインキャラはともかくサブキャラよりも少ない。
読者の目線になるのは基本的に読者に近いか平凡なキャラが多い。
驍宗は延王、利広と同じくこの世界の中でも傑物として描かれている。延王、利広が陽キャなら、驍宗は陰キャだ。口数の少ない延王ともいえる。
なので、読者目線にしにくいのはわかる。
出さないことでカリスマ性が高まるように造形されているのだろう。
今回の長篇であらましは終わっているものの、各キャラの内心はそう多くは語られていない。
特に首謀者である阿選と瑯燦。
短編が来年度発売されるようなので、この後日談をぜひはやく読みたい。
主題
人生ままならない。今、ものすごくそれを実感している。
別にアラブの石油王の妻になるとか養女になるとか望んでいたわけではない。
特殊部隊に所属しているわけでもないから壮絶な体験をしたわけでもない。
ごく普通に考えて「これくらいなら出来るor出来ないだろう」と考えてその通りにならず、人生ままならないこともある。
しかし、創作に限っては「その人生はままになる」のである。
書き手の中には「キャラが勝手に動く」ために当初とは違う構想になることもあるだろうが、それだって再度訂正することは可能だ。
方向修正をしないということは当初の構想よりも良かったということで、やはり人生ままになるのである。
もちろん、場合によっては自分ではなく外部から修正を求められることもあるだろう。
プロならば個人がすべて把握しているのは稀で、チームで動いているだろうから個人としては不服でもプロとしてクライアントに満足してもらわなければならない。
だから、プロというものはクライアントの求めたものを差し出すもので個人の構想云々ではないと思っている。
前置きが長くなったが、私がテレビアニメ版『恋する天使アンジェリーク』をすすめないのはそこだ。
クライアント(ルビパ)がなにを求め、制作会社がなにを供給できたのか。
つまりは主題はなんだったのか。
正直私にはまったくわからなかった。
百歩譲ってエンジュの成長物語としても、当のエンジュの設定がブレブレで見ているだけで苛立ちを隠せない。
特に前期は酷かった。
逆ハーレム的なエンジュにしたかったのか、神鳥守護聖が次々とエンジュに恋する仕様なのだが、そのキャラがどうしてエンジュにときめいたのかまったくわからない。
突然恋する素振りを見せ、大抵はその回が終わればそのことを忘れている。
最初からメインターゲットなフランシスとゼフェルは一途に恋していることを最後までアピールしていたけれど、ルヴァの場合は「ゼフェルがエンジュを好きになって言い出せないまま見守るポジ&そのことをすべて承知しているオリヴィエ」を描きたいだけだったと思う。
決して満足しているレベルに達していないものの「守護聖を集める」ことが主題となった後期の方が遙に見やすいのはそのためだろう。
王道のエトワールとしての成長を主題にするなら前期は育成の難しさ、後期は守護聖説得を主軸として、恋愛はほのかにかすめるだけに留める方が利口だったろうに。
もちろん、甘い台詞の方がウケるのは確かだけど、アンジェリークは歴史上ヒロイン交代があって事実上NTRを思わせるところがあるから、エンジュの場合特に注意が必要になる。
人気キャラであるオスカーやアリオスと結び付けたところで反発は必至であろう。
だから当初は無難な相手であるフランシスをゼフェルと同様に恋のメインターゲットにしていたのだろうから。
何回も書いているがサクリアの精霊のこともきちんと定義してなかったがために、最後どんでん返しをするつもりだったのだろうが、伏線を入れなかったがために突然の設定変更で「?」としか思わない。
途中で方向修正せざるを得なくなったとしても、最初から主題がブレブレだったのが要因で最後までグダグダだったと思っている。
アンジェリークは恋愛シュミレーションだ。
だから「恋をすることがメイン」であるのは確かである。
しかし、ストーリー上「大義がメイン」なのである。
つまり女王試験ならば女王になることがメインで恋愛はおまけで、リモコレが女王になったことはつまり「恋愛は成立しなかった」ことになる。
その物語の本質を失念し、安易なキャラクターに合ったシチュエーションを見せることだけを念頭に置いたアニメが失敗したのは当然といえば当然なのかもしれない。
存在意義
新アンジェが発売されたらヒロインの名前は当然「アンジェリーク」であろう。
続編ではないが同じ世界観を持つネオアンのヒロインがアンジェリークだったので、これは間違いないと思う。
そもそもアンジェリークの世界において、女王は偉大であり、その中でも「アンジェリークの名を持つ少女」が最も尊いのである。
だから、アンジェシリーズのヒロインながらアンジェリークの名を持たないエンジュは異例の存在であろう。
もちろん、それは先代女王アンジェリーク、神鳥の女王アンジェリーク・リモージュ、聖獣の女王アンジェリーク・コレットと同じ世界に三人のアンジェリークがいる(先代女王は退位しているが以前のヒロインがそのまま残っている)ため、混乱を避けなくてはならずアンジェリークではなく「エンジュ」にする必要があった。
同じくトロワのティエン・シーも同じ天使の意味を持つがアンジェリークと名乗れないでいる(ただし、彼女は女王であってもヒロインではない。先代女王と同じ枠組み。)
あくまで個人的な意見だが、私はアンジェリークを「女王ならびに守護聖の世界(候補生を含む)」と位置付け、正編は女王ないしは女王候補視点だと思っている。
そして、女王と守護聖とか聖地における一流の位置付けになり、それと同時に教官協力者エトワールアリオスは二流と位置付ける。
ただ、お断りしておくが一流>二流の位置付けはあくまで肩書であって、キャラクターそのものではない。
会社における肩書で部長>課長みたいなものなので、誤解のなきように。
そこで、その位置付けにおいて
女王>>>(越えられない壁)>>>守護聖=補佐官>>>(越えられない壁)>>>教官>協力者>エトワール=アリオスなのかな、と。
守護聖、補佐官と教官との間の超えられない壁はすなわち聖地と下界だと思ってもいい。
エトワールとアリオスが同格なのは、聖天使と魔天使が相方とされているので、その前身である状態でも同じかと思われる。
エトワのメモブによると経験を積めば聖天使も守護聖と同格になると示唆されているので、後年守護聖=補佐官=聖天使=魔天使と女王以外十把一絡げ状態になることも考えれるのだが、仮にこうなったとしても神鳥守護聖内でも上下関係があるように一律で横並びにはならないとは思っている。
女王になることのないエンジュの名前が天使を意味していてもアンジェリークでなかったのは、まるでこのことを予言していたように感じてしまった。
もちろん、そんな思惑は少しもなく条件的にアンジェリークにできなかっただけなのは理解している。
けれど逆にいえば、アンジェリークの名を持つ少女が至高の存在と際立たせるものだと感じ取れるのだ。
同じ素質を持ちながらもアンジェリークとそれ以外の名は聖地と下界以上に隔たりのあるものだと私は考える。
新アンジェリーク
アンジェリーク新作の一報を見たのは、レジで並んでいるときだった。
長い列だったので時間確認をするつもりでスマホを取り出したとき、アンジェリーク新作の文面に天にも昇る気持ちだった。
25thアニバーサリーの新作発表が遙7だったので、アンジェ関係はないと確信していた矢先だったので、とにかく非常に驚いた!!
でも、よくよく考えたら旧アンジェさよならってことなんだよね。
メモワールでのキャスト陣の反応の薄さから悟ったよ。
新アンジェというか、これこそネオアンでしょう。
十数年遅かったよ…と今さらながら思ったりする。
個人の好き嫌いはともかく、エトワールはアンジェリークシリーズ延命のための消去法によるゲーム制作だったと思っている。
攻略対象が最多とはいえ、ゲームシステムが既存物のをベースにし、全キャラが聖地に留まれるよう守護聖化。
ただこうでないとアンジェの世界を延命できなかったとは理解しているのだが、初代よりゲーム性を高めたSP2、RPGに挑戦した天レク、デートゲームとして制作したトロワ、ミニゲームも一から作ったふしアンとスイアン。
それに比べるとエトワールはトロワの反省点を生かして取捨選択したに過ぎないように思える。
で、更に失敗を重ねたのは、ネオアンをアンジェの延長上とせず当初は別シリーズとして出した中途半端な立ち位置だった。
ここではっきり「未来のアンジェリークの世界」として旧アンジェと紐づけしていたら、事態は違っていたように思う。
ネオアンはフルボイスやアニメーション化してもうまく世界を広げられず十年後にオトメイトへ島流し。
エトワにしてもネオアンにしても固定ファンがいるから大変惜しい。
遙5でキャスト一新、ルトゥールでキャラデザ変更が失敗して、新アンジェはその併せ技。
個人的には地雷臭しかしないんだけど(笑)。
アンジェでお金を落とす層は由羅信者キャスト信者であるのは火を見るより明らか。
ただ既存キャラと一から恋愛するにはキャラクターが消耗しているので難しいのはわかっている。
だからリメイク、または移植がベストだと思うのだけど。
そうそうアンジェキャスト陣に社長が多いことから弟宇宙は「弟子の宇宙」のキャストになるのじゃないかと妄想して笑いあってました。
でも、まったくないと言い切れないんだよね(笑)。
まだ第一報の段階なのでどうなるか不明ですが。
ところで、遙7ですが、こちらも地雷臭が(笑)。
ゲームシステムとかキャラデザ云々でなくて、乙女ゲーの歴史ものだと幕末と戦国は二大舞台だ。
今や何十人とある真田幸村の中に突っ込んでいくなんて自爆としか思えない。
ここで他社をグンと抜くものが出来たら拍手喝采だが、競合他社がある中ででこまで通じるのか。
幕末設定で爆死した遙5の二の舞になるのでは?とつい思ってしまう。
こちらもまだ第一報の段階だからどう転ぶかわかりませんけど。
スコーピオン
海外ドラマスコーピオン、シーズン4(ファイナル)を視聴終了。
メンタリストと双璧で好きなドラマなんだけど、残念ながら打ち切りで終了。
シーズンの最終回に次のシーズンに続く作りになっているんだけど、今回はそれが仇になって尻切れトンボクオリティになって、え?これで終わりって仕様に。
かくいう私もどこでまとまるのかハラハラして見ていたけど、どこまで見ても大団円になるわけもなく、最後にチームが二通りに決別してビックリ!!
スコーピオンの仲間として個性的な面々が特技を駆使して難問を解決するストーリーなんだけど、シーズン4の最終回は仲違いして終了。
ウォルターとペイジをくっつけたのが失敗だったなぁ。
いざこざが出るのが同じパターンになってしまって、これならなんとなく言い出せないままの片想い同士の方がよかったと思う。
メンタリストではジェーンとリズボンが終盤結ばれるけど、これまでのリズボン→ジェーンの方向性が完全に逆転してジェーン→リズボンになっているところもよかった。
メインストーリーである難問解決もマンネリ化してたけど、それでも大なり小なり波乱があっておもしろかった。でも、この恋愛面のマンネリ化は痛かったかも。
もし、次回シーズンがあったら、仲違いしたメンバーがフローを加えて新生スコーピオンとして、最終的にマークコリンズあたりと対峙したのかな?
それと、トビーとハッピーは養子を迎えていただろう。これはハッピーが妊娠してたら侵入したりするアクションができないから、二重の意味でOKだろう。
スライとフローが結ばれて、全員パートナーありで大団円…になるのに。
おもしろかっただけに、重ね重ね残念!
母恋し
先日、三国志展に行ってきました。
学生時代に三国志にハマってからずいぶんと時間が経過し、結構忘れていることが多いと実感。
夢中になっていた頃はどんなものにも目を通していたのに、あの曹操の墓が見つかったのを知ったのは少し前というテイタラク…。
(自己弁護すれば発見された年は子供の出産時期と重なるので、私は私で懸命に生きていたときだった。)
学生時代の夢は「曹操の墓を探したい!でも盗掘に遭っているから発見されるのは絶望的だろうなぁ」だった。
しかし、今回ちゃんと出土品が展示されていた。
当然幾度も盗掘され金品については盗まれていたもののバラバラになったとはいえ遺骨まで見つかっている!すごい!すごい!
曹植でさえお墓が見つかり、そぼくなアヒルの焼き物を見て「曹植らしい~」と思ってしまった。豆ガラ兄弟にはお似合いだと思ってしまって(笑)。
曹操の墓からは三人分の遺骨が出てきた。
そして、そこにあるのが不自然なほど若い10代女性の遺骨。おそらくは、曹昂の生母である劉氏。
色んなことをしてきた曹操が「あの世で曹昂に『私の母上はどこにいますか?』と聞かれたら答えられない」といったエピソードはあまりにも有名で、彼はそんな長子を思って劉氏を合葬したのかなって。
曹昂の養母である丁氏は離縁してしまっているからできなかったのだろうけど、丁氏はそれはそれは曹昂をかわいがっても、やはり生みの母の力は大きいのか。
で、前々から思っていた疑問が。
古代中国は今からは考えられないほど男尊女卑の思想。
女は戦利品で家畜やモノと同じように扱われるのが通例。
でもね、母親の重要性はかなり大きい。
孫策の母呉氏は彼にかなり影響を持っていて、孫策が迎え入れた部下に挨拶されているし、彼のことを窘めるために井戸に飛び込もうとしたエピソードもある。
曹叡は母甄氏を死に追いやったのは父の愛妃郭氏であったため、皇帝になってもなかなか手を出せなかったがついに彼女を自害に追い込むOR殺害することができた。
(ここはかなりぼかして書いてあるので詳細は不明。しかし曹叡が郭氏の死に関わっているのは事実だろう。)
もちろん、父親一番の世界ではあるが、母親を重要視する面は少なくはない。
自分の価値を高めるつもりかもしれないが、それにしても単なる飾りではなくて「母恋し」の気持ちが伝わってくるんだよな。
母の仇をとった曹叡にしても、母親がされたことを自分の皇后にもしているから、「自分の母親は大事。それ以外の女はモノ」なのかもしれないが。
重ねる意義
子供にアガサ・クリスティーの「アクロイド殺し」を読み聞かせています。
児童書ですけど高学年向けなので多少描写が子供向けですけど、大人向けと大きく隔たりはないと思います。
この作品はある禁じ手をはじめてしたものであり、賛否両論あるもののクリスティーの代表作のひとつとされる。
その程度の知識と本を読む前にドラマを見ているので全体像はわかっていたのだが、読んでみると当初思っていた印象と少し違う。
というのも、犯人をある人物と重ねることで「清廉潔白」の印象を与えている。
ポアロは原作とDスーシェ版ドラマと内容はひどく大きな乖離はない。
最も違っている点は「ドラマ版は常に探偵助手はヘイスティングズ大尉」であろう。
原作は彼の結婚譚であるゴルフ場殺人事件の後に南米へ行き、ポアロ最後の殺人事件となるカーテンでイギリスに戻ってくる設定だが、ドラマでは変わらずにヘイスティングスが探偵助手を務めている。
シャーロックのワトソンよろしく決められた相手の方が視聴者にもわかりやすいだろう。
このヘイスティングスが「清廉潔白で曲がったことのできない古典的なイギリス紳士」と物語では繰り返し主張されている。
そして、アクロイド殺しの犯人もそのヘイスティングスと重ねるように描かれている。
さらにダメ出しのように「性格が気弱」「もっと押しなさい」だと繰り返す。
これを知らず知らず脳内に印象付け、役割上犯人として考えなかっただろうし、性格としてもひとのよい彼が殺人犯なわけがないと思わせる。
なかなかうまい設定だ。
特定のキャラクターを重ね合わせる意義を思い知らされたようだった。
アリオスの相手はコレットの印象が強いのはそこだろう。
彼の親密度イベントだけでなく共通イベントでもレヴィアスとエリスの会話はアリオスとコレットの会話と重ねあわされているから。
だから、他のキャラORカプが本命でもアリコレの印象が残っているんじゃないかな。
私は本命は▲▲なのにアリコレ好きなひとが意外と多くて不思議だったのだけど、強制イベントでもエリスの追憶があって、さらにコレットとの言動を重ね合わすなら、それはアリコレを脳内に刻み付ける作業なのかもしれない。