アリコレ館

アンジェリークのアリオス×コレットばかりかと

設定と性格と

アリコレ派の人がどうしてエトワールをプレイしないのか?アリオスを出さなければ済む問題なじゃいの?という方もいるが、私はそうじゃなかった。

例えるなら、嫌いな食べ物が食卓にある場合。

食べなければいいから問題ない人もいるだろうし、生理的に見た目が受け付けない人や、見るとトラウマを思い出すから嫌な人もいるだろうし、匂いがダメな人もいるから一緒にしないでほしい人もいる。

私は同じテーブルにアリオスとエンジュを乗せてほしくなかったのだ。

 

そこで、エトワールのアリオスがあそこまでブレてしまったのかを考えた。

前作と違うというよりも、その設定と性格が違うのが主な原因のように思える。

つまり、設定は倒れるコレットを支えるために自己犠牲を払うアリオスというアリコレ仕様。

性格は俺がお前を守ってやるから一緒に逃げようというアリエン仕様。

前作からの物語性を負うなら設定だし、アリオスのキャラクターを追及するなら性格だし…と、なんだかブレブレになってしまった。

 

しかし、このエトワールのアリオスは、一体誰をターゲットにしたものだったのだろう?

トロワ発売時に『私は禁欲的なレヴィアスの方がいい』という人は少なからずいた。

けれど、トロワのアリオスEDで歓喜した人の中で『鎮魂歌のレヴィアス(悲恋)EDはなかった方がよかった』という人はほとんどいなかったのではないか?

あの悲恋あってこそ、それを乗り越えてのハッピーエンドに喜んだわけだから。

 

もちろん、アリコレ好きだけどエンジュでプレイしてみて『アリエンも割とよかった』という人もいるだろうけど、少数派のように思えてならない。

やはりアリコレ派だと、アリオスはコレットと出会って本当の意味で人間となり、エンジュに恋したという公式がハマることができない。

 

つまり、アリコレ派というのは、アリオスの存在をできるだけ大きく受け止めた人がなるものだから。

そのため、彼が存在することにどんな意味付けをするかで、全く異なった見解になってしまう。

アリコレとは運命のカップリング!という考えで、アリオスはコレットのために転生してきたと考える人たちだから、そこになにもしらない少女に恋するアリオスに違和感を覚えるのだ。

 

ちょっと話を変えて、アニメのアンジェリークの話。

なぜかいらんエンジュの失恋設定でアリオス似の男が出てきたけれど、これが真面目に『過去に因縁あったらカップリングとして成功する』と思っていたら、是非聞いてみたい。

本当にこれでよかったのか?って。

確かにクラヴィスリモージュ、アリオスとコレットについては男の過去に因縁があるんだけど、それを克服してこそのカップリングなんだ。

特にアリオスは死んだ恋人を生き返らせる絶好のチャンスだった。

女王という至高の存在は、魔導生物に魂を受け入れるには抵抗力が強すぎて難しいのだが、これに成功すれば瞳の色だけ違うかつて愛したままの少女になるから!と彼は孤軍奮闘していたわけで。

その中で、アリオスにとってコレット<エリスが、コレット=エリスとなり、やがてコレット≠エリスになって、最終的にコレット>エリスになっていく過程がいいんだよ。

ただ、失恋した彼にそっくりだったというのはあくまでもキッカケに過ぎず、それをうまく料理しないとただ痛い女の子になってしまう。

脚本家の人が考えた設定かもしれないけれど、これで話が動くと思っていたなら、相当おかしい。

そして、それにGOサインを出したルピパも相当キてる。

 

ちなみに、アリエン仕様になっていないためか、個人的にエトワールのドラマCDはOKでした。

脚本が単調なところはあれど、おもしろい話もあったし。

意外とアリオスだけ女王、女王と言っているんだよね。

(他キャラはエンジュ至上主義みたいだから余計にそう思えるのかも。)