アリコレ館

アンジェリークのアリオス×コレットばかりかと

余韻を残して

たまたまネットサーフィンしていたら某作品の一話のレビューを目にして、私はその話を詳しくは知らなかったけれど、その人がどれほどこの作品が好きか、ということはよく理解できた。

普通ならつながらないような点と点をつないで(普通ならAパートとBパートのテイストが違いすぎるとしか言えないようなものだった)、結果私は〇〇が好きと結論づけていて、狂気すら感じる文章に大変好感を持ったのでした。

 

好きな作品はなんでもレビューを見るのが好きで、その人の考えに深く共感を覚えることもあるし、私は違うなと思うことはあれど、総じて好きなものを好きだと語る熱意には頭が下がる思いがする。

 

ただ、話の中においてすべての因果関係をはっきりさせようとする考えは、個人的には少し違うかな?とは思う。

個人がすべてを請け負っている漫画や小説ならともかく、分担制で制作するアニメ、ゲームなどは特にそう思う。

むろん、すべての伏線を回収できるならそれに越したことではないけれど、小さなことに拘り過ぎて大まかな流れを止めてしまうのは本末転倒だと思うし。

「あれはなんだったのかな?」と思うことがあっても、最終的に「納得した!面白かった!」くらいでいいのかな、と。

それと、読み替えができるように話の余韻を残してほしい。

ここは〇〇と読めるとも、△△としても読める。どちらも話が破綻しない、そんな余韻がほしい。

たとえば、聖闘士星矢で双子座のサガが善から悪に転じた理由が漫画において「(所謂)二重人格」で語られていても、描写では「某かが憑依している」ように見える。

または、理想を追い求めるだけでは地上は他の神に支配されてしまうとサガが危惧する場面もあるので、善であることに限界を感じて悪の力を得たようにも思える。

どれでも読めるし、破綻もしない。

ガチガチに因果関係を決めなくても、それくらいの曖昧さでいいと思う。

こういう妄想する余地はすごく大事だとも思っている。

 

他にもウルトラマンタロウの「血を吸う花は少女の精」ではどうして怪獣が出るのか因果関係ははっきりしないけれど、この回のゲストキャラである少女が捨て子だということ、里子になっても(金銭的に恵まれたとはいえ)家族の愛を得られなかったことなどの想いが怪獣を呼び出したように思える。

結末もすっきりしない。

結局、少女はまた施設に戻ることが言及されているが、孤児としての未来が開けるわけでもなく後味悪いものなのだが、私はすべてが勧善懲悪に終わるような話より好きだ。

なにより天涯孤独の光太郎はともかく、父にも母にも愛され、兄弟たちからもかわいがられてきたタロウが「少女は母を憎んでいた。そうさせた社会を憎んでいた」と締めくくるラストは細かいことを忘れてグッとくる。

 

それと、公式では二次創作でありがちなネタを入れるのはやめてほしいかな。

特に闇落ちとか。

闇落ちがストーリー上必要不可欠な要素であるなら仕方ないけれど、余程練り込んだシナリオでないととってつけたような、何番煎じの話になってしまう。

安易なお涙頂戴になると受け手としてはシラケるより他ない。

もしここで〇〇じゃなかったら、△△だったりしたら、というIFを重ねることで二次創作は闇落ちをえがく。

本来ではありえないもうひとつの未来であり、これをダメ押しのように公式でされてしまうと、妄想すらできなくなってしまう。

優れた文学というのは後世において二次創作させるものだ、と私は思うのだけど、元からこれでもか!これでもか!といいたいことをすべて出しつくしてしまうと読み手もそれ以上膨らむものがない。

書きたいことは7~8割程度に抑えて、残りを受け手に譲る。受け手がどのように取るかは自由。そんなスタンスであってほしい。

 

余談だけれど、ウルトラマンタロウにおいては光太郎とタロウの融合がこの作品の一番の謎。

昭和ウルトラマンは設定がザルで、人間関係の緻密さは平成ものに劣ると思う。

どのキャラまたは怪獣が強いかには興味のない私にはあまり考察する点がないのだけれど、光太郎とタロウの関係性には興味をひかれる。

正解はない。

本編を見ると光太郎の死=ウルトラマンタロウの誕生ととれるし、ウルトラの母をして光太郎とタロウは似ていると言及しているのだからソウルメイト(もしくは地球上でのタロウの半身は光太郎)というようなことかもしれない。

むろん、以前のように「勇敢な若者を死なせるには惜しい。ウルトラの力を同化させて死なないように手配」かもしれない。←ただこの場合は最終話で光太郎とタロウが分離するんだけど、マンとは違い特に命の用意もなしにできるからどうなのかな???

ここの因果関係をはっきりと示さなくても話は破綻しないし、キャラクターの行動原理もおかしくないから、どうとでも取れるような描写が好ましいのかもしれない。