アリコレ館

アンジェリークのアリオス×コレットばかりかと

恋アンの読み方

先日、恋する天使アンジェリーク第二期DVD耐久視聴会にお邪魔してきました。

あんな見るに耐えない話を皆一緒に視聴するとツッコミという笑い要素が添加され、思った以上に楽しいひとときを過ごせました!

 

しかし、この恋アンは私をメタ的構造を考えさせてくれる一番のきっかけだったと思う。

放送当時既にアンジェどころかオタクから引退していたので、存在は知っていたものの見たいという気持ちすらなかったテレビアニメ。

あのとき見ていたら、きっとただの激情に流されて感想は「面白くない」の一択だっただろう。

昔塾の講師(国語担当)が「テスト作成者の気持ちになって問題を解く」といわれて、そんなことできたら苦労しないと思っていたのが、今はなんとなく「これはどうして出来たのかな?」という視点で考えられるようになってきた。

そういう意味では、恋アンはまさに最適なテキストだと思う。

 

最終的に「エンジュのお相手はあなたの心の中で」方式なのだが、これがかなり問題あり。

当初誰かに決めていたのを無理やり「アンジェリークとは心の中で方式なので最後はそのようにして」とルビパからお咎めがあったとしか思えなくなっている。

明らかに恋愛の温度差のある描写があり、恋愛フラグそのものが立たないキャラクターもいる中で「誰が来てもおかしくない」マルチエンディングはありえない。

そして、最終話であるエンジュが誰を好きかを決める回では明らかな暗喩がある。

それはどのサクリアが原因かわからなず四苦八苦している中でやっと「炎のサクリア」が原因とわかる。これはすなわちチャーリーとのフラグが成立しているととって差し支えない描写だ。

(それまでチャーリーからエンジュへの告白を含めかなりの情愛を感じる描写が多く、それに対しエンジュも応えるような受け答えをしている。)

受け手によって感想が異なるし、正式に発表されていない事項はあくまで受け手に委ねるものだけど、例えばトマトが嫌いなひとが食事の際にトマトを除けたとしたら、それは嫌いであるという描写である。これをたまたまだと受け取るひとがいたとしても、作り手は「トマト嫌いと思われる描写」として認識しているはず。また、そうでなくてはならないと思うし。

それだけではなくて、エンジュに告白したキャラクターとしてはゼフェル、フランシスがいるが、明らかにエンジュの戸惑い、引きを感じる描写で喜んでいるものはほとんどない。

それと、ルヴァはエンジュに好意を持っているものの、その想いはエンジュに届いてはいない。

また、加えるならエンジュが固執しているアリオスについては、何度もねっとりした視線を投げかけるもののアリオスが意に関している描写は皆無である。

つまり、物語の読み方としてはチャーリーEDが妥当だと思うのだ。

 

当番回があれば恋愛フラグだという認識かもしれないけれど、そもそも当番回すらないキャラクターもいるわけで、その他大勢を考えたら、どうしたってチャーリー側エンジュ側から互いに好意があると思わせる描写をさせておりてマルチエンディング風にするのはずるいなぁと思ってしまう。

ずるいというか、そうするしかなかったのかもしれないけれど。

 

話は少し変わって、チャーリーED(ということにして)を決めてたのはいつからだったか。

私は第二期は守護聖説得がメインになるため、守護聖の定義から自然にはじめるには、レオナード、フランシス。ユーイの三人からはじめるのが妥当だと思われ、実際そのようになっている。

この中で明らかな恋愛フラグは第一期から前世という形で登場していたフランシスだけで、レオナードとユーイには恋愛感情を見出せない。

それはそれでいいのだけれど、なぜ最終話でセイラン曰く「君(エンジュ)を惑わせるもの」としている中にレオナードがいたのか。

チャーリーとフランシスは確実に恋愛描写があるから納得だけど、レオナードにはない。無理やり入れてきた感じが否めない。

それを考えると、守護聖説得でエトワ新参組先行が決まっていて、その後に恋愛フラグを立てることになり、ティムカやヴィクトールのようにフラグが立ちにくいもの、セイランのような絡めにくいキャラを排除した結果がチャーリーだったのではないか、と私は考えている。