反面教師
個人的にはエトワールは誰がやってもヒットすることはなかったと思うけど、これはゲームシステム云々ではなくて恋愛するキャラクターが既に消耗していたことが大きい要因だと思う。
アンジェリークにおいてスピンオフ作品を除けばトロワまでは挑戦的だった。
常に新しいことに挑戦しようという気概を感じる。
SP2は初代よりもゲーム性を複雑にしてライバルをグッと強くした。これは正統派進化。
トロワは今までの恋愛シュミレーションを捨ててデートゲームとして作られた。
ミニゲームの寄せ集めだとしてもふしアン、NEC制作としてもRPG初挑戦の天レク、カードゲームのスイアン。
初代のリメイクでゲーム性は変わらないのでゲームとして挑戦的ではないけど、ライバルをヒロインとして作ったデュエット。
それに比べるとエトワールは「前作トロワの反省点を生かして作られた」感じしかしない。
たとえば、トロワでは新キャラがいなかったのでトロワでは新キャラを追加。
おそらく多大なる労力で作られたであろう3Dをバッサリ切って以前の2Dへ。
デートがメインだけではダレるのでデートだけでなくシュミレーション要素を追加。
逆に評判をよかったものについては強化して、スチル、アニメーションをより美麗に仕上げた。
ビジュアルを以前に戻すのは容量の問題も大きかったと思う。
この辺は個人差があって賛否両論だと思うし、私はトロワの方がずっと好きだけど、取捨選択としては英断だったと思う。
で、これがすべて功を奏したのかと聞かれたら、どうだろうか?
先にも申したように、恋愛としてキャラクターが消耗していたのが大きく、アンジェリークの世界観も広げるというよりも「破綻させないこと」を根幹にして構築されている。
消去法によって諸々を選択したとしか考えられない。
反面教師にして作られたとしか思えないのだ。
で、直接アンジェリークシリーズではないけれど、ネオアンもまたこの方式で作られていると思う。
たとえば、エンジュが田舎の元気な女の子なら、ネオアンのアンジェは(エリート階級と思われる)医者の娘なのに両親は殺されて孤児というプラマイゼロで普通の女の子、という形で仕上げている。
エトワールは人数が多すぎて容量の問題も大きかったことから、人数はグッと少なくして風呂敷を小さくして世界観をまとめた。
シュミレーション+デートでは長いのでゲームはミニゲームテイストでまとめる。
でも、ウリであるスチル、アニメーションはそのまま変更しなかった。
ただ、ネオアンについては下手にアンジェの世界と絡ませてしまったために世界観が広がらなかった。
アンジェが人気作ならともかく既に斜陽になっているときにやっても人気が出にくいのは仕方ないだろう。
(これはアンジェの力を借りたいというよりもネオアンの力でアンジェ復活に期待を込めていたのでは?と私は考える。)
ネオアンは移植などのタイミングもすべて裏目に出てしまって、あの頃のコーエーの一番悪いところが反映してしまったようで残念。
ゲームの出来も悪くないし、いち早くフルボイス作品だったのに。
更にいうなら、テレビアニメとしても頑張っていたのに。
(私個人ではあまりキャラにハマらなかったのが原因であまりやりこめなかった。乙女ゲーはゲームシステムもあるけどやはりキャラ命だと実感。)
新しいことに挑戦すると簡単にいうけれど、なかなかできない。
しかし、ネオロマでよくいわれるのは、コルダ無印あたりまではゲーム性がしっかりしていた、と。
ユーザーの求めるものが変化していったこともあるけれど、あれ以降ゲーム性云々よりもイベントメインになってしまって本業が疎かになっているように感じてしまうのは、私だけではないと思う。