描写
どの本にあったのか失念してしまったのだが、高島俊男さんの本に「”故郷は懐かしい”ではなくて”故郷は遠くにあって思うもの”と書く」というようなことが書いてあった。
一言で表すのではなく、伝えたい思いや感じたことを丁寧に描写していくことは文章の上手さ。
だからといって、重ねれば重ねるだけいいというわけでもない。
複雑な味が出るからといって調味料や香辛料をたくさんの量や種類を混ぜればというわけではないのと一緒。
重ねることと引くことのさじ加減が必要なのだ。
ただやはりうまい描写だと心に訴える効果は高い。
けれど、いくら上手な書き手であっても文章の思惑と受け手の感受性が一致するわけではない。
歪曲されたわけでもなく受け止められ方が違うことはよく見かける光景だ。
で、あくまで私が感じているだけのことでそれが本当かわからないのだが、私がネットサーフィンして目に留まったあるひとの文章に違和感があった。
あるひとを仮にX氏と呼ぶことにする。
X氏は一般人でブロガーやインフルエンサーのように文筆で身を立てているわけではない。
X氏の文章すべてに違和感があるのではなく、X氏の語る家族、もっといえば親についてとてもヘンな感じがするのだ。
ちなみに、X氏と家族仲は良好で、虐待やDVといったものとは無縁。少なくとも書かれているものには表れてはいない。
ではなにがヘンなのかといえば、X氏の親を見る視線が家族愛を越えているように思えるからだ。
血のつながった親が親子以上の情愛を抱いてしまうなんて物語はあるが、それはそういう設定として考えているためそこに私の感情はないのだが、本当の生々しい感情にはヘンなキモチワルサを感じてしまった。
ただ重ねていうが、これはあくまで私が感じたことで真相はたぶん違うだろう。X氏は家族として親を愛しているごく普通のひとだと思う。
付け加えるなら私は勘の鋭い人間ではない。むしろ鈍感に分類される。
だから私の勘違いである可能性が大きいのだ。
それなのに、なぜかものすごい違和感がある。
こんな鈍感なタイプなのに「あれ?」と心に引っかかったことが後になって当たっていたことが多少だが経験がある。
○○だから▲▲のような理論はない。
目を通したときに感じた「あれ?」だけ。
具体的に指摘することもうまく説明できなくてもどかしいのだが、私も無駄に馬齢を重ねたこともあってそれは経験によるものも大きいのかもしれない。
X氏の親を見る目線もこの「あれ?」なのだ。
しかし、よくよく考えるとX氏が好きなものを語るときとてもねっちょりした文章になることに気付いた。
好きという語彙を使わずに描写を重ねることによって、それが重たさに感じられたのだ。根本的に文章の相性が合わないのだろう。
いや、これは波長があえば「わかる!わかる!」ってことになるのだろうけど、少なくとも私にはそう感じらた。
仲の良い親子としての描写が重ねることによって、私には無自覚ゆえに自分の気持ちが駄々洩れになった文章にさえ思えてきてしまうのだ。
X氏の語るものが「Aが好きBも好きCは大好き」のような単調なものだったら、決してこんな風には受け取らなかったと思う。
だから、頭の中で違うであろうと思っても違和感を消せずにいる。