『いいひと』にならなくて良かった
実は『いいひと』でした、というのが嫌です。
だから、トロワで復活したアリオスがいいひとにならなくて良かったな、と思った。
でも、そうと考えたのは、割と最近。
昔はおそらくどっちでも良かったと思う。
けれど、やっぱり『いいひと』なアリオスなんてアリオスじゃない。
クーデターを起こした原因は完全なる私怨なのだが、争ったのは権力。
そこに民の希望とか願望なんてなかった。
玉座を臨んだ、ただそれだけ。
神鳥への侵略もその足掛かりだっただけ。
だからこそ、戦いに敗れた彼はその責任を取って自害した。
これが本当に責任を取ったということでなくても、レヴィアス(アリオス)の生き方による幕引きだった。
それを周囲からどうこう言われたくない。
だから、戦うことになったけれどコレットにすら謝らない。
当然、これはアリオスの論理であり、特に神鳥側としたら「は?」みたいなことなんだけど、互いが理解できるのが理想であるけれど、実際はそうじゃない。
けど、それでいいんだと思う。
もし、この侵略に対して謝罪したらアリオスじゃないし、そもそも謝るくらいなら物事を起こさない男だ。
そういうひとなので、彼は周囲から一歩引いている(自分がしでかしたことの重さを知っているから馴れ合わない)というのも、合点がいく。
だから『いいひと』でした、でまとめると落ち着くのかもしれないけれど、キャラクターアイデンティティが崩れるから、嫌なんです。
嫌われても、理解されなくてもいい。
我は我が道を行く。
それでいいと思う。