アリコレ館

アンジェリークのアリオス×コレットばかりかと

失敗の連鎖

エトワールでの設定変更の中でやってはいけなかったのは「女王のサクリアの概念の消失」と「神鳥と聖獣のサクリアの意味の違い」だと思っている。

 

前者については、聖天使(エトワール)の格上げを目的として、女王の万能感をなくすためだと思っている。

何度も書いているけれどエトワ未プレイだから違うかもしれないが、それまでチート機能といわれてきたリモージュでさえも、エトワではあまり万能な女王なイメージがない。

ましてコレットにあるわけもない。

エトワでは絶対的な女王の存在感が揺らいでいるのが印象的。

 

後者については、世界を構築する九つの要素の意味付けが違ってきたら、そこから生まれた宇宙は他と異なるはず。

モノは一緒でも意味付けが違う場合はあるだろうが、神鳥と聖獣のサクリアの意味は大きくは違わない。

むしろ無理に変える必要のないものだ。

では何故変更したのか。

それは「キャラクターに合わせた」としか思えない。

キャラクター性は合致しても(個人的には合っていると思えるキャラはあまりいないが)、世界を構築する要素の意味を変えるほどのことかな?と思う。

 

アンジェリークは初代がSFCということもあり、今から考えたら容量が少なく、その世界観はゲームよりもCDなどの派生で生まれたものだ。

無論、根幹となるものはゲームから生み出されているけれど、人間関係などはドラマCDの方が詳しく描写されている。

だから、今から聞くと当初はキャラ設定がまだ固まっていなかったんだと思わせるような場面もあるし、それはそれで歴史を感じる。

しかし、エトワールに至っては、もうそれなりに出来上がったものに対して矛先を変えたものだから、かなりの無理が生じている。

トロワまででアンジェリークの世界はある程度熟成されて、更に未来を描くには正直現キャラクター温存は無理だったのではないかと思う。

そう思わされるのは、エトワでの新設定がなにも生かされない、場当たり的なものに感じるから。

例えば、カティスは後付けキャラだけど、彼の設定はその後の矛盾を生んでいない。

むしろジュリアス、クラヴィス、ルヴァのよき相談相手であり緩衝材的なキャラとして描かれるため、彼が聖地を去った後のジュリアスとクラヴィスの険悪感を物語るようにもなっている。

エトワにはそういう未来に繋がる、または過去に戻って納得できるようなことを、私自身は感じられないのだ。

 

で、その失敗の連鎖がルトゥールにおける新キャラクターの登場だと思っている。

最初に断っておくと、新キャラが駄目というわけではない。

そこそこ人気があるのを見ると、むしろキャラクター造形には成功しているのだと思う。

けれど、そこに新キャラがいても後にも先にも繋がらない。

双子の執事はいなくても話は通じる。

ブライアンについては過去の出来事を語るためのキャラクターなんだけど、その過去は特別必要には思わない。

ブライアンが噛んでいるという部分を除けば、それは今まで通りであり、それで特に問題はない。

 

ルトゥールの新キャラは完全に作り手とユーザーの齟齬の違いだと思っている。

作り手は「新規ユーザーのためのキャラ」であり、ユーザーは「アンジェリークシリーズの存続」のだと思う。

だから、ユーザーにとって新キャラという概念は特別ほしいものではなかったはず。

そして、作り手の誤算は新規ユーザーが予想を下回ったことだろう。

あくまでも私の印象だけどルトゥールプレイ済みなのは新規<古参ユーザー。

せっかく新規取り込みのためにキャラデザも変えて新キャラを追加しても、マーケティングを誤ったとしか思えない。

勿論、どのジャンルも新規取り込みは重要課題だから、作り手としての姿勢は間違っていない。

だが、見誤ったのも事実だと思っている。