アリコレ館

アンジェリークのアリオス×コレットばかりかと

萌えとは

今更ながらアンジェリークルトゥールの三万円BOXの特典にあったROMANTIC CDを購入し、ぼちぼち聞いています。

腰つけてしっかり聞くタイプでないので、聞き逃しがあると思うのだけど、いくつか聞いた中でブライアンだけ異色だな、というのが素直な感想。

全キャラ「女王候補の時間」と「女王の時間」の二部構成の中に「新女王即位~女王となるあなたへ~」の台詞があるのだが、ブライアンのみそこが~女王にならなかったあなたへ~となっている。

つまり女王の時間も”ロザリアが即位したその後”に他ならない。

未だ全部聞き終わってないので推測にすぎないが、他キャラは使命に生きたアンジェリークと想いは同じものの恋仲になることはなかったことを物語っているのに、ブライアンだけがふたり恋人設定になっている。

しかも、聖地の仕事を勝手に請け負っているような様子なので彼らとの接点も切れていない。

孤独に生きたブライアンは、アンジェリークと出逢ったことで、幸福も愛情も仕事もすべて手に入れる万々歳のEDだ。

 

けれど、これが不思議なことに萌えない。

私は初代SFC版に思い入れがあって、未だにルトゥールができないので、ブライアンのこともネタバレ設定程度しかわからないけれど、ブライアン萌えでもこれを公式でやってほしくないと思ったと思う。

私は生粋のアリコレ信者だけど、仮に天レクでアリオスが改心してコレットと結ばれたとなれば、当時はそれなりに喜んだかもしれないけれど、これほど深くハマらなかったはずだ。

やはりあれは天レクでの別離があって、トロワの邂逅があったからこそ、エトワでふたりが結ばれてると思うわけで、簡単に結ばれてしまったらあまり萌えないんだ。

アンジェリークの元からあるコンセプトが「恋か使命か」だから、どちらも手に入ってしまうと、先人たちの想いはどうなるの?という気持ちになってしまう。

大雑把な区切りならエンジュもそうなんだよね。

聖天使になってもゲーム上は恋愛EDにならないけれど、女王のように恋愛NGじゃないから聖地に残ってエンジョイライフみたいな。

ネオアンの女王即位&男GETも萌えなかった。

理屈じゃないんだけど、どちらかを手に入れるという状況下にあってこそ、このひとを選ぶ意義が出てくるので、そこが萌えのポイントなんだなって。

 

ブライアンがここで幸せになりました、ということは、この時点でルトゥールの続編はないですよ、ってことなんだと改めて思った。

エトワ発売当時ならSP2でもブライアン攻略可能だったとは思うけど、エトワでアリオスを出したのは「今までのキャラクターは例外なく出す」という大義名分のもと、「目当ての男を出せば文句ないだろう」という下心があったに違いない。

しかし、ユーザーからの拒否感と時代の流れで「攻略キャラクターは同じヒロインでなくてはならない」という考えになり、別メーカーから発売した魔恋についてはレヴィアス攻略不可になったのだと思ってる。

ブライアンはこのCDを聞いていると、続編のことを念頭に置かずに作ったキャラクターで話が完全に閉じていると感じた。

だから、派生するポイントがないから(これを妄想の余地ともいう)余計に萌えないのかもしれない。

統合性

イベントごとは苦手な方で、自分から積極的に手を出すことはなかったのですが、今年からウルトラマンタロウにハマり、タロウ45周年メモリアルイヤーということに気づき、ウルフェスもタロウメイン?みたいな感じだったので、思い切って一部と二部にチケットを取りました。

結論からいえば、タロウメインではありませんでしたけれど、行ってよかったです。

 

タロウをメインとすると6兄弟を使えるから便利なんですよね。

ジャック、エースがそれぞれマンとセブンのメモリアルイヤーに重なってしまって、単独で出しにくいため、タロウで十把一絡げみたいな感じなのでしょうか。

 

一部はエンペラ星人復活で地球の危機に立ち向かうウルトラマンたち、ということなのですが、まあよくある話です。

オリジナルキャラクターであるソラが「私は戦えないけれど、歌でみんなを支えることができる!」でパワーをみんなに与え、無事に地球は救われたというのが大まかな流れ。

よくある話ではあるので、それほど気にしてはなかったのですが、なんかすごく既視感があって、なんでだろう?と考えていたところ、わかりました。

この話の流れがバトル系漫画アニメの夢小説にあるある話だった!!

戦闘員ではいから戦いでは役に立たないけれど、なにかしらの特技(歌とか治癒とか)で戦場で活躍するヒロイン。

ソラはまさにそれ。

話の構成としては別段おかしいところはない。

先ほどから繰り返しているよくある話である。

ショーは話の面白さというよりも、各キャラクターの活躍、アクションを見るものだから、わかりやすく且つ30分という時間制限の中である程度の人数をまとめるということが重要であろう。

出演にタロウと名前があったのは他兄弟の中でマンを除けば台詞なしだから、メモリアルイヤーだから台詞ありくらいの立場。

しかし、見てはいないのだけどジードの映画でジードが噛ませだったとレヴューを見たことあるのだけど、後半挽回するとはいえ、このショーでもジードが噛ませだったよ。

ジードはベリアルの息子で遺伝的に強いという下駄はかせた状態だから噛ませにされやすいのかな?

 

で、二部なのですが、統合性は一部ほどはない。

敵がエンペラ星人からマグマ星人に変わった程度で結局地球の危機にウルトラマンたちが駆けつけてきてくれた。

そこに説明はない。

でも、それがよかった。

 

兄弟が揃う場面は本当にかっこよくて!!

そういえば一部では6兄弟のテーマ曲が流れていたにも関わらず、戦っていたのはマンとタロウを覗く4兄弟。

マンとタロウは後からの登場だったので演出的にそうなってしまったのだと思いますが。

でもね、私はタロウ最推しだけどウルトラ6兄弟あってのタロウ推しなんだよね。

こうして6兄弟揃っての演出に鳥肌ものだった。

あと、うれしいことに各人のテーマ曲に合わせてひとりづつの見せ場があるので、それも良かった!

細かい説明はいらないの。

地球の危機ならウルトラマンは駆けつけてくれる。

そこに統合性を求めていない。

これはショーなんだから。

ということで、第二部もう一度見に行こうと思います。

見えて透ける考え

好きなひとには申し訳ないのだけれど、ウルトラマンネオスを見て、もう感動するほどアホらしくなってしまった。

特撮に予算をかけてないとか、俳優陣の知名度がいまいちとか、そういう問題ではない。

もちろん、特撮がショボいのも、俳優陣が今一歩なところも確かにあるけれど、それよりも「ウルトラマンならこんなもんだろう」というなめてかかる態度のわかる脚本で、とうとう5話で脱落した。

むしろ5話まで頑張ってみたよ(笑)。

 

ウルトラマンの兄弟ではなく先輩後輩として、マンとセブンのリファイン的な物語として描きたいのだろうけれど、「ウルトラマンならこの手の話」と決めつけた態度がありありとわかる上に、制作サイドがなにが書きたいのかまったくわからなかった。

宇宙人との邂逅や侵略をどのように描きたいのか。どのように考えているのか。

書き手の気持ちが感動的なほど伝わらない作品だった。

一見してわかったのが、一般人の考えるウルトラマンを予算内で仕上げている。ただそれだけ。

 

地味だったり玄人向けだったりして一派ウケしない作品はある。

しかしながら、そこには「ここはダメだけどここは素晴らしい」というなにかがある。

ただネオスに関しては、そういうものを私は一切感じなかった。

やっつけ仕事でやってます、としかいえない。

 

賛否両論であるネクサスだけど、受け継がれる絆というテーマは個人的には割と好きで、作中にしっかりと描かれている。

確かに特撮はショボいし、CGもイマイチだと思うけれど、きちんと書きたいことを描ききっている。

それが合うか合わないかは好みの問題だけど、気持ちを伝えることができない作品はどうあってもフォローできない。

 

恋する天使アンジェリークもだけど、久し振りに誰がなんのために作ったかわからない作品に出逢ったので、思わずブログに書いてしまった。

最強の難しさ

ルトゥールでサラとパスハがリストラされたこともあって、当初からルトゥール2の制作があやぶまれていた。

でも、今にして思えば、ブライアンが登場したことでルトゥール2の制作は検討されてなかったのかと思いはじめた。

 

ヒロインの交代があろうと男は絶対に出すという強い信念のもと、アンジェリークは続けられた。

さすがに昨今の攻略対象は一ヒロインが前提となってから、魔恋についてレヴィアスは攻略対象ではなかったけれど、あれがもしエトワ後に発売されていたらテレサでの攻略は可能だったと思われる。

さて、ブライアン。

あまりにも限定的なキャラクターすぎて次回作には非常に使いづらい。

それでも、ルトゥールには新キャラとして出してきた。

ということは、次回作の構想がなかったのではないか、と考えたわけです。

 

ルトゥール未プレイなのですが、設定から考えてブライアンはつくづく異色だと思う。

リモージュ限定のアリオス」という言葉がぴったりではあるんだけど、ブライアン√ってそれほど限定されていないような気がする。

恋愛に関しては限定であるのは間違いない。

けれど、肝心のブライアンの設定がそこで閉じていない。

つまり、ブライア自身が神鳥守護聖とつながっている関係で、神鳥ーブライアン×リモージュー神鳥みたいに、お互いのバックに神鳥守護聖が控えている。

ただリモージュの視点からだとブライアンの背景に神鳥守護聖が控えているように見えないだけで、実は世界はつがなっている。

恋愛はふたりのための√なのに、世界観は共通。

だから、閉じていない。

この辺はエトワの恋愛はアリエン仕様、設定はアリコレ仕様のアリオスに通じるものがある。

 

また、ブライアンがただの次元の狭間に堕ちた一般人なら、初代とSP2の時間の間隔はあまり開いていないのでひょっこりと演出もできるけれど、神鳥守護聖にガッツリ絡んでいるため、それも不可能。

しかも、255代女王時代の最重要人物設定。

この最強設定も非常に使いづらいところ。

「認められない天才」として落としているものの、設定的には最強だよね、ブライアン。

アリオスも最強設定の持ち主だけど、彼は元々ラスボスというオチがあったので最強であっても設定に矛盾はない。

仮に仲間時代は弱くても最終的に敵として登場する際には最強を誇る皇帝なんだから、設定的に最強でないと逆に矛盾する。

神鳥守護聖は相互の短所と長所のバランスから成り立っている、いわば陰陽五行説のような円を描く関係性で、生態系のようなピラミッド型じゃない。

オリヴィエやカティスのようなどのキャラクターにも有効な「万能」キャラはあっても「最強」キャラは入れにくい設定になっている。

元々最強キャラというのは相互のバランスが難しい上に、ブライアンは後付け設定だから余計に矛盾が生じる。

キャラクターの性格に矛盾はなくても、破綻するほど世界観に支障をきたさなくても、異質なものだと思ってしまう。

 

だから、私にとってのブライアが、単に目新しくするために入れられた新キャラで、守護聖のハイスペックに負けないように最強設定つけられた使い捨てキャラに思えてしまう。

神鳥守護聖の人間関係が緻密で、大事に育てられたのとは真逆の存在と感じずにはいられないのです。

タイトルに悩む

二次創作している文字書きさんでも、タイトル付け苦手な方は結構いらっしゃって、私も例に漏れず苦手。

会心の一撃的なものは一二度程度しかない。

 

まだウルトラマン熱は冷めなくて、ちょっとづづでもマン~レオを見ていて思うのが、セブンは内容もタイトルも一級品だな、と。

タロウ推しの私でも思う。

逆にタロウは「あっ!タロウが食べられる!」とか、いくら小学校低学年向けだからといえ、この辺は舐めているとしか思えない。

タロウ本編では兄弟ものが一番好きだんだけど(ちょっと脚本は微妙なんだけど、やっぱり全員揃うのが楽しい)、タロウだけの脚本でベストなのが『血を吸う花は少女の精』で、これは内容もタイトルも最高。

セブンは「蒸発都市」「第四惑星の悪夢」「ノンマルトの使者」「「狙われた街」「姿なき挑戦者」「史上最大の侵略」など、多少既視感あるタイトルもあるが、なかなか良いフレーズ。

見たい、知りたいと思わせるワンフレーズだと思う。

 

こういうタイトル付けたいけれど、私の中の引き出しが少なすぎて、なかなか難しい。

テーマ

ウルトラマンネクサスが一番気になる特撮パートの出来がイマイチなのに嫌いになれないのは「光の継承」というテーマが自分に合っているからなんだな、と思った。

そう思い至るまでに結構不思議だったのだけど、考えてみたら納得。

おそらくはファイブスター物語の「血の継承」というテーマが私の根底に根付いているからなんだろうと思う。

 

ネクサスの光の継承も、デュナミストが身体をボロボロにして戦い、このまま朽ちてもいいとさえ思っていたとき、ふとしたきっかけで生きる希望を見出すと、ネクサスはそのひとを離れていくのもよかった。

また、セットにかかるコストをさげるため「メタフィールド」という設定を拵え、低予算を維持した。

ウルトラマンのセットは緻密で壊すことを前提としているから使いまわしができず、実にコスパの悪いものだった。

確かに特撮としてはどうかと思うようなセットだが、世界観としては実によくできている。

どの作品も様々な制約があって作られているのだけれど、あからさまに見えてしまうと受け手はしらけてしまうしまうが、こういうこの低予算を逆手に取った設定は素晴らしいと思う。

制約があるのはわかるが、売るための玩具が画面にドーン!と出ているよりずっといい。

 

ウルトラマンが泣いている」(円谷英明著)を読了。

さすがに円谷一族なだけあって細かく時系列で語られているな、というのが第一印象。

その次に感じたのは、子供向け作品で大人にも受けているものを高尚な作品として、あくまで子供向けな作品を二流と判じているということ。

ウルトラマンでもあくまでマン、セブンが至高で、あとは時流におもねることで二流化したと考えているように思う。

ウルトラマン一期は確かに脚本も大人向けが多かったと思うけれど、それを続けていてはなしてウルトラマンは永遠のナンバーワン(オンリーワン)だったかはわからない。

シリーズが続くにつれ絶対的にテコ入れは必要となるのだから、いいものを作れば絶対売れるみたいな根性論はどうなのかな、というのが私の感想です。

 

特に長く続くシリーズにはその作品毎のテーマは必要だと思う。

標榜するだけでなく、しっかり作品の根底に描かれるテーマ。

見ていて「なにをいいたいのかわからない」というものは意外と多い。

普遍的なテーマになればなるほどどこかで見た既視感、なんとなくわかったような終わり方、そんな流れになってしまう。

好き嫌いは個人差があるから、好きなシリーズ、嫌いなシリーズがあってもいいし、嫌いなものが続いたら(残念ではあるが)そこから卒業すればいいのだから。

自分には合わなかった、好みの問題なのだから、仕方ないことだろうし。

ただし、嫌いだからといってを罵るのは別。それはマナー違反。

また、全作品を本当に好きというひとは別だけど、「一般的に低評価なこの作品まで好きな俺は勝ち組」みたいな善意の押し付け的なものもどうかと思う。

繰り返しになるけれど、あくまで個人差、好みの問題なのだから。

 

万人受けするような作品でも、個人的には好みでないものもある。

ただ、やはり人気作というのは見ていると理由がはっきりわかる。

世界観がよく描けているとか、キャラクターが生きているとか、伏線をよく回収しているとか。

これはさすがだな、って感心する。

だから人気があるんだってマネするのではなく、それでも自分たちが描きたいテーマを決め、しっかり表現してほしいと思っている。

 

ところで、私がウルトラマンに求めているのが①特撮、特にミニチュアセットの緻密さ②キャラクターの造形③作品テーマであってドラマパートはそのずっと後になる。

だから、タロウが今でも一番なんだろうって思う。

特撮については新マンもエースもよくできてるし、合成については80もいいと聞く。

でも、キャラの造形で一番のタイプなのがタロウなの。

顔だけ見ると確かにセブンと似ているんだけど、アイスラッガーを外せるセブンとウルトラホーンを持つタロウは私の中で別物なんだよね、不思議と。

80も特撮いいよ、って聞くんだけどどうもお顔が好みでないので、食指が動かない。

好みの問題なんだな、とつくづく思う。

咀嚼力

名作と名高い、帰ってきたウルトラマンの「怪獣使いと少年」を視聴。

内容を知っていたのに、見終わった後の重苦しさは想像以上でした。

差別がテーマですが、それ自体が重いというよりも、見える差別がまかり通っていた時代のいじめの描写がリアルで、私にはこれが重かった。

また、少年役の子が演技が上手で、重苦しさに拍車をかけていて。

いつの時代でも孤児は生きにくいもので、ここではないどこかに行くために宇宙船を探していた少年は、結局最後まで宇宙船を探すところで終わる。

ウルトラマンが介在しても、少年の人生にとってなんの救いにもならない。

そういう結末がまたリアルで、見ている人の心を絞めつける。

とはいえ、脚本も演出も素晴らしいものでした。

シビアな作品だけに、私の場合は精神的に安定しているときでないと見られないのですが、いつかまた再度見たいとは思っています。

 

以前、ウルトラマンネクサスの内容はウルトラマンとして描かなくても、と書いたのですが、この「怪獣使いと少年」はウルトラマンに入れてこその内容だと思います。

ウルトラマンが登場しても少なくとも少年の境遇は変わらない。

差別などの社会問題をテーマにした社会派のドラマや映画はあるけれど、差別とか孤児の生きにくさとか、少年の寂しさを埋めてくれた宇宙人とかをうまく咀嚼してウルトラマンの世界に生かしている。

これは本当に素晴らしい。

ウルトラマンだからというよりも、このことをウルトラマンの世界観にするなら、というようなシナリオでした。

 

そういえば、ネクサスのウルトラマンXの客演回を見たのですが。

10勇士見た後で期待もまったくしなくて見たら、これまたよくネクサスの世界を咀嚼してXの世界に入れたと感心しました。

危機に陥ったときに諦めずにいると光が訪れる――ネクサスが現れるという登場はまさにネクサス!!という感じで。

これは完全なる人間態を持たないネクサスならではという感じもします。

副隊長がネクサスに変身しているのですが、副隊長の夫役が過去孤門を演じられていた役者さんで、ネクサスとアイコンタクトを交わす姿は「夫婦だから」とも「この世界で溺れることもなく、恋人を喪うこともなく生きてきたもうひとりの孤門にネクサスは反応した」ともとれる。

もちろん、命の危機を救ってくれたネクサスを見上げただけ、ともとれるし。

いいな、こういう自由な解釈のできる演出は。

 

平成客演に対して昭和客演はひどいという話を聞きますが、あれはああいう時代だったとしかいえません。

漫画でもアニメでも、前章のキャラクターが再登場する場合があって、よくて「俺たちがここを抑えているから、お前たちは早く行け!」というようなお助けキャラだったり、強さがインフレするための引き立て役、噛ませ犬的なものも少なくない。

それでも、好きなキャラクターの再登場はうれしいもので(長く続いたものしかできない演出でもあるから)、子供たちはそれでも喜んだと思う。

今見たらウルトラマンAで5兄弟が磔にされる回はもう少し力を合わせて、とか思うけれど、みんながいるだけでやっぱりうれしいと思ってしまう。