主題
人生ままならない。今、ものすごくそれを実感している。
別にアラブの石油王の妻になるとか養女になるとか望んでいたわけではない。
特殊部隊に所属しているわけでもないから壮絶な体験をしたわけでもない。
ごく普通に考えて「これくらいなら出来るor出来ないだろう」と考えてその通りにならず、人生ままならないこともある。
しかし、創作に限っては「その人生はままになる」のである。
書き手の中には「キャラが勝手に動く」ために当初とは違う構想になることもあるだろうが、それだって再度訂正することは可能だ。
方向修正をしないということは当初の構想よりも良かったということで、やはり人生ままになるのである。
もちろん、場合によっては自分ではなく外部から修正を求められることもあるだろう。
プロならば個人がすべて把握しているのは稀で、チームで動いているだろうから個人としては不服でもプロとしてクライアントに満足してもらわなければならない。
だから、プロというものはクライアントの求めたものを差し出すもので個人の構想云々ではないと思っている。
前置きが長くなったが、私がテレビアニメ版『恋する天使アンジェリーク』をすすめないのはそこだ。
クライアント(ルビパ)がなにを求め、制作会社がなにを供給できたのか。
つまりは主題はなんだったのか。
正直私にはまったくわからなかった。
百歩譲ってエンジュの成長物語としても、当のエンジュの設定がブレブレで見ているだけで苛立ちを隠せない。
特に前期は酷かった。
逆ハーレム的なエンジュにしたかったのか、神鳥守護聖が次々とエンジュに恋する仕様なのだが、そのキャラがどうしてエンジュにときめいたのかまったくわからない。
突然恋する素振りを見せ、大抵はその回が終わればそのことを忘れている。
最初からメインターゲットなフランシスとゼフェルは一途に恋していることを最後までアピールしていたけれど、ルヴァの場合は「ゼフェルがエンジュを好きになって言い出せないまま見守るポジ&そのことをすべて承知しているオリヴィエ」を描きたいだけだったと思う。
決して満足しているレベルに達していないものの「守護聖を集める」ことが主題となった後期の方が遙に見やすいのはそのためだろう。
王道のエトワールとしての成長を主題にするなら前期は育成の難しさ、後期は守護聖説得を主軸として、恋愛はほのかにかすめるだけに留める方が利口だったろうに。
もちろん、甘い台詞の方がウケるのは確かだけど、アンジェリークは歴史上ヒロイン交代があって事実上NTRを思わせるところがあるから、エンジュの場合特に注意が必要になる。
人気キャラであるオスカーやアリオスと結び付けたところで反発は必至であろう。
だから当初は無難な相手であるフランシスをゼフェルと同様に恋のメインターゲットにしていたのだろうから。
何回も書いているがサクリアの精霊のこともきちんと定義してなかったがために、最後どんでん返しをするつもりだったのだろうが、伏線を入れなかったがために突然の設定変更で「?」としか思わない。
途中で方向修正せざるを得なくなったとしても、最初から主題がブレブレだったのが要因で最後までグダグダだったと思っている。
アンジェリークは恋愛シュミレーションだ。
だから「恋をすることがメイン」であるのは確かである。
しかし、ストーリー上「大義がメイン」なのである。
つまり女王試験ならば女王になることがメインで恋愛はおまけで、リモコレが女王になったことはつまり「恋愛は成立しなかった」ことになる。
その物語の本質を失念し、安易なキャラクターに合ったシチュエーションを見せることだけを念頭に置いたアニメが失敗したのは当然といえば当然なのかもしれない。